韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(2)〜(5)はこちらでどうぞ

2010年09月06日

俺が宮村だ─ポーズと本音の違う宮村氏の素顔

原田和彦の体験談10
統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
私たちの大塚和江さんへの面会要求に対し、宮村氏は「本人が会いたいといえば、じゃ、入ったらいい」と応じた。ところがこれは、ポーズに過ぎなかったことがすぐに分かった。和江さんのお母さんが同意した次の瞬間、宮村は警察の人と一緒に入ると言い出したのである。このポーズと本音の違いが宮村氏の大きな特徴の一つである。警官の一人、安達警部補が宮村と一緒に入ろうとした。私と妹さんは、当然同行できるものと思い込み、一緒に入ろうとした。私は婚約者であるので、婚約者が拉致監禁されているならば、助け出したいと思うのは当然である。続きをどうぞ
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2010年09月04日

俺が宮村だ─俺の名前を知らない統一教会員はもぐりだ

原田和彦の体験談9
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大塚和江さんが監禁されている705号室の玄関ドアをしばらくノックし続け、和江さんのお母さんの応答を待った。このままノックし続けても、埒が明かないと判断した私たちは、警官を呼ぶことにした。確か私の記憶では、小池氏が呼びに行ってくれたように思う。しばらくして警官がきた。荻窪駅南口の交番の佐々木という警官だった。続きをどうぞ
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2010年09月02日

俺が宮村だ─和江さんのお母さんと現場で遭遇

原田和彦の体験談8
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私は現在、拉致監禁をなくす会の会員である。この会の小出浩久代表、後藤徹副代表ともに宮村峻氏の脱会説得の被害者である。私はこの会の活動に初めて合流したのは昨年6月28日。拉致監禁をなくす会のビラ配布に、当時非会員として初めて参加したときのことだ。配布終了後、大塚和江さんの拉致監禁の舞台となった荻窪フラワーホームに後藤徹副代表と一緒に赴き、マンションの場所と、和江さんが監禁されていた部屋を確認した。

荻窪駅から歩く方向は間違っていなかったのだが、もう20年以上も前のことであったので、記憶が違っていて、道一本間違えてしまった。しかし、その通りから正しい道につながる道があり、その道を歩いて行った突き当たりに、そのマンションはあった。21年ぶりの荻窪フラワーホームとの再会であった。21年前にあったとかすかに記憶していたコンビニが、確かに建物の斜め前にあった。確かにこの建物であると確認した。この21年間、私の記憶の中に常にありながら、私の拉致監禁2次被害の幕が下りる92年よりあとは二度と訪れることのなかったこの建物。いや、二度と訪れたくなかったこの建物。すぐに荻窪フラワーホームの看板を直視できなかった。続きをどうぞ
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2010年08月31日

俺が宮村だ─三栄子さんの上申書から

原田和彦の体験談7
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大塚和江さんの拉致監禁に関する真実を知るのに、もう一つ大きな手掛かりがある。それは妹の三栄子さんがまとめてくださった上申書である。これは、私の上申書、小池氏の上申書とともに、本来ならば人身保護請求書の一部として、裁判所に提出する予定だったものだ。しかし、和江さんの救出が失敗し、住所が分かっていることから宮村氏側も和江さんの住所を移すであろうこと、また和江さんが偽装脱会による脱出を試みている可能性が高まったことから、提出を見送ったものである。この上申書もまた、小池氏のもの同様、内容のみ要約して紹介することとする。続きをどうぞ
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2010年08月29日

俺が宮村だ─拉致監禁対策の教会員が脱会後牧師に

原田和彦の体験談6
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小池宏明牧師─私にとっては、忘れられない人の一人である。まだ統一教会の会員であったころに、大塚和江さんの救出に、T氏とともに尽力してくださった一人である。小池氏は、それまでも拉致監禁の被害に遭っていたが、知り合いから、大塚さん救出劇の後も幾たびか拉致監禁され、ついには松永牧師のもとで牧師になったと聞いていた。前回、新津福音キリスト教会のホームページでネット上の再会をしたと書いたが、何とも言えない気分であった。その小池牧師のことでもう少し詳しく書く。長文になる。続きをどうぞ
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2010年08月27日

俺が宮村だ─いよいよ救出のXデーが来た

原田和彦の体験談5
統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
1989年4月末からのゴールデンウィーク。今頃大塚和江さんは私をご両親に紹介してくれているだろうかと、実に能天気な思いで待っていた。ところが……。連休が終わった5月12日ごろ、彼女の妹さんである大塚三栄子さんから深刻な連絡が入った。和江さんがまだ教会に戻ってきていないというのだ。続きをどうぞ
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2010年08月25日

俺が宮村だ─用意周到な2回目の拉致監禁

原田和彦の体験談4
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この21年間、私はある一つの幻想を夢想してきた。幻想と言っていのか、あるいは現実にそういう行動を取ったのか、日記をつける習慣がないので、分からない。だが、記憶の中の現実として迫ってくる。

それは、大塚和江さん救出の]デーより以降の日、自分が住んでいた、当時永福町にあった(今もあるのかどうかは知らない)の世界日報社の販売店から荻窪に歩いて行って、和江さんが監禁されていたマンションの部屋を眺めている自分の姿である。続きをどうぞ
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2010年08月23日

俺が宮村だ─高崎で初デート

原田和彦の体験談3
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翌年の2月ごろであっただろうか、時期的なことは記憶があいまいだが、初デートをした。群馬県内の統一教会高崎教会に彼女を訪ね、お互いの生い立ちからその当時に至るまでの人生行路とか、家族のこととか、実家のことなどを紹介しあった。近くにおいしいお蕎麦屋さんがあった。観光名所となっている地域の、その蕎麦屋に連れて行ってくれた。続きをどうぞ
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2010年08月18日

俺が宮村だ─深刻さを捉え切れなかった大馬鹿な自分

原田和彦の体験談2
統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
人身保護請求書の記述に入る前に私と元婚約者大塚和江さんとの出会いについて触れておこう。初めての出会いは、1988年10月下旬、確か29日ごろであったと思う。統一教会の6500双祝福国際合同結婚式の会場であった。金浦空港から約3時間くらいであったであろうか、バスに揺られて山奥に上っていった先の統一教会(統一協会)所有の飲料(メッコール)工場に着いた。よく晴れた日であった。また、とても寒い日であった。続きをどうぞ
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2010年08月10日

連載「俺が宮村だ」資料01─大塚和江さんの救出作戦顛末報告書

原田和彦の体験談─資料1
統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
一、1989年6月5日午前11時頃、荻窪フラワーホーム705号室へ原田和彦(私)、大塚三栄子さん(大塚和江さんの妹)、小串静夫弁護士の3人で訪問した。弁護士が呼び鈴を押して、中から婦人がドアを開き(#1)「弁護士の小串といいます。」と身分を告げると、すぐにドアを閉められて施錠された。弁護±が、ドアをノックしながら「もしもし、もしもし」と繰り返して呼ぶが出てこなかった。

次に大塚三栄子さんが「お母さん、お母さん… 」、「三栄子です、お母さん」「お母さん、三栄子です、開けて下さい! 」と何回も繰り返して呼んだが、ドアは、開けてもらえなかった。続きをどうぞ
posted by 原田和彦 at 15:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 連載「俺が宮村だ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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