韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
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2011年04月01日

宮村氏・山口代理人サイドに偏向した「やや日刊カルト新聞」

拉致監禁被害者後藤徹氏が宮村峻潟^ップ社長や松永松永堡智・新津福音キリスト教会牧師、後藤氏の家族らを相手取って提訴した拉致監禁訴訟に関し、かなり歪曲されて報じられているものがあったので、本ブログにおいて是正しておきたい。「やや日刊カルト新聞」の「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」というタイトルの記事がそれである。本来本ブログは宮村氏及び高澤守・神戸真教会を研究するためのブログであり、他のブログ・メディア批判は範疇外であろうという批判をお持ちの読者もいるであろう。しかし、当該記事を読む限り、この記事が宮村被告・山口広代理人の立場を擁護するものであり、「新聞」という公正な視点から書くべき機関のイメージからは逸脱したものであるので、宮村派の見解を代弁するものと見なすことができると本ブログ代理人は判断した。よって、拉致監禁裁判に限定すれば宮村派代弁機関となっているこの「やや日刊カルト新聞」の論調を是正することもまた、本ブログのフォロー範囲に加えるものである。
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宮村氏サイドに偏向した「やや日刊カルト新聞」記事
まず同記事の冒頭から、拉致監禁裁判の基本的性格を誤認しているタイトルが出てくる。「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」とのタイトルがそれである。これは極めて重大な問題である。なぜなら、後藤徹氏によって提訴された本拉致監禁裁判は、後藤氏個人の基本的人権が12年5カ月にわたって侵害された、あってはならない悪辣な行為に対する指弾のための裁判であって、単に何らかのためのキャンペーンを張るものではないからである。

当該記事の中で、後藤氏は「『全国拉致監禁・強制改宗被害者の会』の代表、『拉致監禁をなくす会』の副代表を務める。現役の統一協会信者であり、統一協会による『反拉致監禁キャンペーン』の先頭に立つシンボル的な人物だ。」と紹介されている。このこと自体は、まぎれもない事実である。だが、そうであるからと言って、後藤氏が宮村氏らに対して起こした民事訴訟が「反拉致監禁キャンペーン」の一環だと言いきるその主張には、首をかしげざるを得ない。たとえば、芸能人や著名人に対して、「有名税」と称して家庭内の不祥事まで暴露しまくる三流ジャーナリズムがある。「やや日刊カルト新聞」の当該記事のタイトル付けには、それに似た臭いを感じる。三流週刊誌がでかでかと付ける、センセーショナルなタイトルと同じタイトル付けの仕方である。

それを証明するのが、今紹介した引用部分である。センセーショナルなタイトルではあるが、本文を読んでみると、後藤氏が統一教会による「反拉致監禁キャンペーン」の戦闘に立つシンボル的な人物であるという、後藤氏の背景について述べているだけであって、この裁判がそういう性質ものであるということを述べているわけではないのだ。記事本文とはかけ離れたタイトルをつける、まさに三流ジャーナリズムの真骨頂である。

また、「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」というこのタイトルから見ると、「やや日刊カルト新聞」は後藤氏が提訴した拉致監禁裁判を、統一教会のキャンペーンの一環とみなしているとしか読みとれない。しかし、この拉致監禁裁判の本質は、裁判の訴状が掲載されているブログ「拉致監禁by宮村の裁判記録」(http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/)の記事「後藤徹氏の訴状(1)」(http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-3.html)、「後藤徹氏の訴状(2)」(http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-4.html)ほかを読むとご理解いただけると思うが、宮村氏らから受けた後藤氏が12年5カ月にわたる拉致監禁という暴力を伴う脱会説得で、失った時間、精神的・肉体的ダメージに対する損害賠償を求めるものであって、基本的人権の貴さを訴えるものである。決して何かのキャンペーンのような、軽い本質のものではない。まず冒頭のこのタイトルからして、宮村氏・山口代理人擁護の姿勢が感じ取れる。

またほんの少し読み進むと「■訴状の体をなしてない」というタイトルが出てくる。このタイトルもまた、この記事が中立公正の立場ではなく、宮村氏・山口代理人の立場から書かれていることを立証している。このタイトルが表わしている本分の部分は、「宮村氏の代理人から、後藤氏側の出した訴状について、「訴状を読んだが、何を不法行為と言っているのか、何をもって訴えているのかよくわからない」との指摘があった。これでは訴状の体をなしていない。」という部分だ。つまり、記事のタイトルが、山口代理人の発言を受けた記者の心象からつけられているのである。「新聞」と言う名を冠していながら、実は社会の公器としての「新聞」のイメージからは逸脱した記事であるということを、自ら立証している、ある意味で面白い部分である。

実際に訴状はどのようになっているのか。

ウ 被告宮村峻は,株式会社タップと称する広告代理店を経営しており,荻窪にある日本イエスキリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師(故人)らと組んで,同教会を拠点に複数の統一教会信者の父兄から,報酬を得てその子供である信者の脱会を請け負い,父兄等に順番待ちをさせた上,順番が来るまでの間,拉致監禁による脱会説得の手法を父兄らに指導し,拉致監禁実行後には自ら監禁場所に赴いて強制棄教を迫るという「職業的強制改宗屋」である。被告宮村が組織・主催する被告後藤隆ら拉致監禁家族が集まる会を「水茎会」と言い,同会では,順番が回ってきた父兄は,既に信者の脱会に成功した被告後藤■<注1>らの協力を得て自分の子を拉致監禁し,荻窪栄光教会近隣のマンションの一室に監禁するという拉致監禁棄教強要システムができており,そこに被告宮村が来訪するなどして脱会説得が行われる。同会においては,随時,被告宮村による拉致監禁活動費(という名目の報酬)の徴収が組織的に行われている。
  なお,被告後藤■は,統一教会を脱会後,被告宮村が行う統一教会信者に対する脱会説得活動を手助けするようになり,更に前記株式会社タップに就職して,被告宮村の下で鞄持ちとして働くようになったものである。


この部分を読んでいながら、山口代理人は法廷で「訴状を読んだが、何を不法行為と言っているのか、何をもって訴えているのかよくわからない」と主張したのだ。「えっ、えっ」と思わず声を漏らしてしまいそうだ。この部分を読んで、何を不法行為と言っているのかわからないのか?きっと、法廷での技術上のことがあるのであろうが、本ブログ管理人としては、実に分かりやすい訴状であると思う。「やや日刊カルト新聞の取材班」は記事を書いた時点で、訴状を読んでいたのか、いなかったのか。訴状を読んでいたとすれば、本ブログ管理人ですら簡単に理解できたこの部分を、どうして山口代理人の言葉だけから「訴状の体をなしていない」と評したのだろう?まだ読んでいなかったとすれば、なぜ読みもしない訴状を「訴状の体をなしていない」と判断したのだろう?なんだか、本当に本腰を入れて取材したのだろうかといぶかしい思いがする。やはり、中立公正な「新聞」の立場を捨てて、宮村氏・山口代理人サイドに立ってしまったために、宮村氏・山口代理人サイドの主張をうのみにしてしまったのであろう。

記事はその後米本氏批判に移るが、その中でも「■感情的にならずにやりましょう」の部分には、いくつも疑問符を付けざるを得ない。拉致監禁裁判とは少し離れてしまうが、当該記事のライターのスタンスが問題とされる部分であるので、紹介しておく。まず「“統一協会容認派” ライターが本紙主筆をデマで中傷」という別記事のタイトルであるが、当該記事に引用している限りは、当該記事のライターもまたこのタイトルを是認しているのであろう。この統一教会容認派という意味が、いまいち不明である。統一教会が存在すること自体を問題としないということならば、どんな団体だってそれはそうであろう。また日本共産党の存在自体が悪いのではないと言えば、それは日本共産党は正しいという意味ではないことは明白である。そういう意味では、統一教会が存在すること自体が問題なのではなく、いわゆる“霊感商法”その他、その行為が問題なのだ、という意味で容認派なのか、容認派ではないのかと言えば、米本氏は容認派ではない。しかし、そう言う行為さえなければ、あってもいいのではないかという意味では、容認派ともいえるであろうし、それは万人がそうではなければならない。この言葉の使い方が大変なあいまいさが、この記事の随所に表れている。

次に来る文章「その米本氏、閉廷後に、統一協会の拉致監禁キャンペーンに対して懐疑的な立場を取るジャーナリストと遭遇。握手を求め、こう口にした。『おたがい、感情的にならずにやりましょう』(米本氏)。これについて本紙主筆・藤倉は、ニヤニヤしながらこう語る。『おまえがいうな』」これがまた分かりにくい。文章の内容は分かりやすいのだが、この記事のライターのスタンスが分かりにくいのである。拉致監禁キャンペーンに対して懐疑的なジャーナリストが藤倉氏なのか、それ以外の人物なのか。それ以外の人物なら分かりやすいが、この記事の投稿者は藤倉氏である。となるとまたここで、別の記者が書いたのに藤倉氏が投稿???藤倉氏は、自分の発言に、他人が発言したかのように書いて投稿したのか???疑問符だらけの部分となってしまったのである。

この記事は最後に、「■統一協会問題訴訟の“天王山”」というタイトルの部分で終わるが、これがまた拉致監禁という社会悪から目をそらさせる内容になっている。この記事の記者は、どうしても後藤氏の拉致監禁訴訟を、統一教会のキャンペーンの一環ととらえたいようである。拉致監禁という社会悪を、統一教会の霊感商法という別の社会問題にすり替える。社会の公器としてはやってはならない、メディア倫理違反である。

被告側の代理人弁護士の一人は「(統一協会にとって、反拉致監禁キャンペーンの)天王山ではないか」と語る。
被告らの代理人の一人は、本紙の取材に対して「私たち統一協会問題に取り組む弁護士にとって最も重要なのはUCの違法行為の被害者の被害回復と違法認定です」

最後になって、記事の本当の趣旨が現れた。今述べたように、拉致監禁という社会悪を、別の社会問題にすり替えるという、「新聞」という名を冠するメディアにはあってはならない倫理違反。これがこの記事の目的だったのだ。宮村氏・山口代理人サイドの代弁者「やや日刊カルト新聞」は「やや日刊カルト批判」へ改名するよう進言したい。
<注1>後藤徹氏の兄のこと

 
【関連する記事】
posted by 原田和彦 at 05:35| Comment(19) | TrackBack(0) | 後藤徹氏裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 「やや日刊カルト新聞」、はじめて読みました。どうでもいいことを、さも仰々しく。笑ってしまいましたワ。

「米本氏は開廷直前に現れ、列の前の方に横から入ろうとして、並んでいた被告の知人に注意された。米本氏は何も言わなかったが、統一協会側の男性が『代わればいいんでしょ』と言って米本氏に場所を譲り、列の後ろへ下がっていきました。信者に順番を譲ってもらった米本氏は、悠々と傍聴席の前の方に座っていましたよ」(傍聴人)

 これって、割り込みですの?
 食口が米本さんの姿を見かけ、おいでおいでしたところ、米本さんはその食口のところに行った。それで談笑していた(ように遠くから見えた)ところ、文句をいう人がいたので、その食口が席を譲った。
 席を譲らなければ、「割り込み」ですが、席順を入れ替わっただけじゃぁ、ございませんの。

 こんなどうでもいいことを、「新聞」を自称する人たちがよくも恥ずかしげもなく、書けるものだと感心いたしますワ。

 統一教会に反対する人が、どこかのライターさんに席を譲ったら、やはり記事に書かれるのかしら。

 まだありますワ。

psw_yokohama さんのコメント

「後藤徹氏は、なぜ「岩本」姓に変更したのですか?」

 これもどうでもいい言い話だと思いませんこと。後藤さんは岩本さんと結婚し、岩本姓にした。それだけのことじゃございませんの。
 韓国ではできませんが・・・。

 やはり蛙の子は蛙なんですネ

Posted by アジュマ at 2011年04月01日 17:42
「やや監禁擁護新聞」にしたら?(1)

 原田さんがリンクしてくれた「カルト新聞」を読んで、正直、驚いた。というか哀れな感じがした。

 藤倉氏はライター志望。てっきり、福島原発の作業員の募集に応じ、事故の最前線を取材するために、現場にもぐりことでいるのかと思っていたからだ。『原発ジプシー』を著した堀江さんを見習って。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC

 それがどっこい、「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」だ。しかも、価値中立的であるべき記者の条件をかなぐり捨て、宮村氏らの代理人のシナリオ通り−後藤氏は自らの意思で提訴したわけではなく、教団の反拉致監禁キャンペーンの一環として、提訴させられた−の記事を書く。原田さんが指摘するように、宮村の代弁者と化してしまった。情けないこと、このうえもなしだ。

 しかも、記事では私のどうでもいいことが、けっこう書かれていた。拉致監禁に反対する私のことがよほど煙たいのだろう。
 それもあるだろうが、藤倉氏のことを「主筆様」と揶揄したことが勘に触ったのだろう。
(性格は「勝気」ではなく、「負けず嫌い」のように思えた。負けず嫌いはエンドレスだから、始末が悪い)

 そもそもの発端は、私が「火の粉ブログ」で、藤倉氏とエイトこと田中清史君が全国弁連の秘密会合に出席していたと書いたことがきっかけだった。
 藤倉氏は「そんな会合に出席はしていない」と抗議し、削除を求めた。言外に記者としては価値中立的であり、拉致監禁を容認しているような会合に出るわけがない−というもので、主張としては正しいものだった。
 しかしながら、出席した状況証拠を示し、削除しないことを火の粉ブログのコメント欄で伝えたら、カルト新聞に、私の顔写真付きで不当の旨の記事を書いた。

 そこで、「ストーカー事件の真相➁」(火の粉ブログの記事のタイトル)のコメント欄で、私は揶揄をこめて、反論した。
「記事の感想(1)−秘密会合の日時」
「 記事の感想(2)-オフレコの伝言ゲーム」
「 記事の感想(3)-「容認」用語について」
「 記事の感想(4)-初心忘れるなかれ」
「記事の感想(5)-追記編・主筆様」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-247.html#comment_list
最後のほうのコメント欄を読んでください。
Posted by 米本 at 2011年04月01日 19:45
「やや監禁擁護新聞」にしたら?(2)

 主筆様の怒りに触れたのは、「記事の感想」の(4)(5)だと推測します。
 ここで書いたのは、@ノンフィクションライターを志した藤倉青年(当時)がいまだ単行本はおろか、署名入りの記事を雑誌に発表することさえできていない、Aライターの道を諦めたのか、ウエブニュースとも言えないようなカルト新聞で駄文を書き続けているありさまだ、➂しかも、カルト新聞の「主筆様」と書かれて悦にいっている。情けない。

 私の顔写真まで掲載したことについて、ライターの仕事の範囲を狭めるものだとして、抗議の一文も書いておいた。

 しかし、今回の記事でも、また私の顔写真を厭味ったらしく、載せている。私への憎悪が読み取れる。

 今回の震災、人災で、私がもう少し若ければ、原発の作業員となって、内部から原発事故をレポートしていた。そのときに、私の顔写真が載っていれば、作業員となることはできない。

 なぜなら、東電は共産党員社員を徹底に差別し、裁判を起こされたほど、労務は社員の思想を選別し、排除してきた。
 原発の現場は絶対に外に漏れてはいけない秘密中の秘。
 もし私が今、作業員の募集に応募しても、労務のネットチェック担当がカルト新聞によって、私の顔写真を見つけ、私が名前や履歴を偽っても、すぐに正体がバレてしまう。

 だから、顔写真は肖像権の侵害となり、名誉毀損の対象となる。
 ライターへの志を捨てた人にとっては、以上のようなことは思いつくこともできないだろう。だから、ただただ哀れというしかないのだ。

     −続く−

Posted by 米本 at 2011年04月01日 19:50
「やや監禁擁護新聞」にしたら?(3)

 先に、瑣末なことを書いておく。
 法廷で、フォトライターの藤田庄一さんと会った。
 以前、どこかのシンポジウムで会ったとき、目礼をしたけど、厳しい顔つきのままだった。『我らの不快な隣人』を書いたことが、彼の感情に影響したのだろうと思った。(ひょっとしたら、私の目礼に気がついていないだけだったのかもしれないが)

 しかし、今回はニコニコ顔だった。それで握手を求め、「意見や立場は違って感情的になるのはやめようね。感情的になるとややこしくなってしまうから」と語りかけた。

 実に他愛もない、先の投稿者「アジュン」さん(韓国語で、おばさんの意?)の言葉を借りれば、実にどうでもいい話である。
<ルポライターさんがフォトライターさんと握手を交わしましたとさ>
 そんなどうでもいいことを書く。

 そして、駄文を付け加える。
<これについて本紙主筆・藤倉は、ニヤニヤしながらこう語る。
「お ま え が い う な」>

 いまだ自分のことを「本紙主筆・藤倉」と表現する。おそれ入谷の鬼子母神だ。幼児的な感じがする。大人は恥ずかしくて(とりわけ組織人ではない場合)、こんな表現は使わない。
 文春で活躍していた著名なフォトライターは自分をどう表現すればいいのか悩んだ結果、「不肖〇〇」と名乗ることにした。もっとも「不肖〇〇」の肩書はその後、彼の売りになったけど、最初は気恥ずかしさがあったから、不肖と表現したのだと思う。
 要するに、センスの問題である。

 なぜ、藤倉氏は社会的にはどうでもいいような「藤田氏と握手をしたこと」に注目したのか。
 それは、夕刊紙『日刊ゲンダイ』で仕事をしてきたことが影響していると思う。同紙の大半は本質的ではない「横っちょ的」な記事が多いし、ちょっかい的な記事を要求される。

 余談になるが、日刊ゲンダイの編集部に「原発作業員になって、内部のことをリアルにルポしたい」といった企画を提案をすれば、「おまえ、寝言は週刊金曜日で言えよ」と言われるだろう。(決して、ゲンダイをバカにしているわげではないが。つまり、様々な媒体があり、それぞれに役割を果たしているということだ)

 話を戻せば−
 そのため、彼の問題意識は深化せずに、根っからの横っちょ的な体質がさらに増幅されたのだと思う。

 以前、彼からチェルノブイリに取材に行くという話を聞いたことがある。そのときには、いよいよ社会派ライターへの道に進むのかと期待した。しかし、彼は続けて、「チェルノブイリ」への観光ツアーがあるというんで、それを取材しようと思って。
 ガクッ。
 でも、泉麻人さんのように、「軽く、でも本質的なことも書く」といったスタイルもありかと気を取り直したけど、どうもそうではないようで。しかも、記事にはならなかったみたいで、よけいトホホ。

 こうした彼の特質については、後述するが、私にも責任がある。

   −続く−
     
Posted by 米本 at 2011年04月01日 20:06
「やや監禁擁護新聞」にしたら?(4)」

 藤倉氏は私のことを、「“統一協会容認派”ライター」と表現する。原田さんは、統一教会の存在自体は認めるという観点から言えば、「容認」という言葉は使えるかもしれないと書く。実際、私も前掲のブログのコメント欄ではそのように書いた。

 であれば、私はヤマギシ容認派ライター、顕正会容認派ライター、幸福の科学容認派ライターということになる。それにしても、変なレッテル!
 これらの団体を潰れてしまえとは思っていないから、その意味では「容認」である。

 しかし、藤倉氏は説明していないけど、上記のような意味で「“統一協会容認派”ライター」というレッテルを貼っているわけではない。

 そればかりかというかなんというか、彼は表現の責任を回避するために、あえて、容認にヒゲをつけている。ワルの東電とて、「ただちに健康に被害が出る数値ではない」に、ヒゲは使っていない。

 私の立場は明快である。火の粉ブログで繰り返し書いているように、
統一教会の違法行為にはノー
反統一教会の違法行為にはノー
 である。
 そして、統一教会の違法行為にもブログでは言及している。
 そうした事実を知りながら、あえて「“統一協会容認派”ライター」を繰り返す。
(つまり、拉致監禁の事実を薄めたいのである)

 これはヒットラーの手法と同じである。事実を無視し、執拗に同じことを繰り返し、大衆に印象づけを行なう。

 藤倉氏が全国弁連の秘密会合に出席したと書いたことに、反発した。前に書いたように、そこには言外に「おれは価値中立的なライターだ」という主張が読み取れた。

 しかし、今回の記事はそうした主張もかなぐり捨て、脱会屋の宮村擁護に走る。

 記事のタイトルは「「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」。キャンペーンは置いたとしても、「第1回弁論」である。

 どんなに立場や主義主張が違っても、後藤氏が何を訴えたのか、訴状の概要ぐらいは書くべきだろう。それが一切書かれていないのである。

 記者なら、後藤氏と宮村氏にインタビューし、それを記事に反映させるべきだろう。これは最低限の仕事である。取材費用も、電車代だけだ。

 その意味で、表題の「やや監禁擁護新聞」に改名したらどうかと提案する次第である。
Posted by 米本 at 2011年04月01日 20:54
「やや監禁擁護新聞」にしたら?(5)」

 話題を転じる。
 藤倉氏と共通の知人がこう感想をもらしていた。

「藤倉さん、いったい、どうしたのかしらねえ」

 この疑問はもっともである。

 あまり書きたくないことだけど、「おまえ」呼ばわりされたから、書かざるを得ない。(山口広弁護士とて、憤怒の気持ちがあっても「あなた」だった。宮村裁判記録のブログを参照してほしい)

 知人の感想は、私と藤倉氏の関係を知っているからだ。

 青年藤倉氏が私に「ライターになるか、臨時の公務員募集に応じるべきか」相談したことは、前の「火の粉ブログ」のコメント欄で書いた。

 そこで、寸止めにしたけど、「おまえ」呼ばわりだから、少しばかりだが、もうちょい書いておく。

 ライターの道を勧めた私は、青年藤倉氏に立派なジャーナリストになってもらいたいと、まずは糧だと思い、『日刊ゲンダイ』と『受験ジャーナル』を紹介した。

 糧を得るだけでは1人前になれないと思い、月刊『現代』の編集者のA氏、そして『週刊現代』のN氏を紹介した。
 とりわけ、A氏には藤倉氏の企画を、私も売り込んだ。
 確か、池袋のホテルの喫茶店だった。
 N氏とは2人だけの酒席の予定だったが、N氏に頼んで藤倉氏を招待することを了解してもらった。(飲食代はむろんN氏持ち)

 恩着せがましいので、こうしたことは書きたくなかったのだけど、おまえ呼ばわり、共通の知人の「どうしたのかしら」という疑問の意味について、書いた次第である。
 知人からも、むろん正当な対価だが、数十万円を受け取ったはずだ。

 藤倉氏が私について書くことは一分の理もないが、彼のメシのことを心配したことに対する斟酌の念がないことに、そして共通の知人の心配したこと。

 それで書いてしまった。

 こうしたことも忘れている、あるいは無視できるとすれば、藤倉青年(今や40歳前後になろうか)には、ノンフィクションライターへの志が消滅してしまったとしか解釈できない。

 唯一の希望は、藤田庄一さんのデータマンになって、一から取材のやり方を学ぶことである。私は、彼から酒を飲みながらだったけど、けっこう学ばせてもらった。資料も紹介してもらった。

 これ以上、私のことについて触れるならば、寸止めはすべてやめることにする。

 藤倉氏の私への言及は「新たな火の粉」で書くべきだろうが、−藤倉氏は申し訳ないのだが−カルト業界では宮村氏のようにビッグではない。

 もし本格的に論じる必要があれば、ここでコメントすることなく(ひさしを借りずに)、私のブログで書くことにする。

 さしづめ、タイトルは「ノンフィクションライターを志した青年はなぜ転んだのか」だ。藤倉氏が嫌った北大教授の櫻井氏と重ね合わせて。
Posted by 米本 at 2011年04月01日 21:06
「ジャーナリズムのイロハ」(1)

 重要なことを書き忘れていた!

「勝ち犬の遠吠え」F−故樹村さんのこと(2)・ 豹変http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-200.html#moreでも触れたことだが、 カルト批判の記事を書いていた私が、拉致監禁問題に関心を抱くようになったのは、『我らの不快な隣人』の主人公・宿谷麻子さんに出会ってからである。
 彼女、それとやはり拙著に登場してもらった高須美佐さん、中島裕美さんの3人、また麻子さんの両親に、半年間かけて、トータル30時間以上のインタビューを行ない、強制説得の深刻な被害を認識するようになった。

 ここが藤倉氏たち(藤田氏も含む)と決定的に違うところである。
 後藤氏の裁判を「反拉致監禁キャンペーン」の一環といったような政治的な表現をするのは自由だが、彼らの誰一人として、監禁体験者にインタビューしていないのである。

 ジャーナリストが何かを書いたり語ったりする場合、書くのも気恥ずかしくなるが、当事者を取材することが絶対条件である。事件・事故、どんなことであれ、「取材」をせずに記事にするのは、ジャーナリストとは言えない。あたりまえすぎる話である。

 藤倉氏はそのあたりまえのことをせずに、拉致監禁問題を横っちょ的に書く。彼はライターを志望していたが、取材もせずに書くのだから、到底、ライターになることはできない。

 一度だけ、藤倉氏は宿谷麻子さんへのインタビューの仲介を私に頼んできたことがある。しかし、『「カルト」を問い直す』を書いた北大の櫻井教授を批判したいとする不純な動機だったがゆえに、結局、申し出そのものをキャンセルしてきたが、動機が何であれ、監禁体験者の声に耳を傾けていれば、彼の認識は違ったものになっていただろう。


 カルト新聞の末尾に、「本紙・後藤事件取材班」と書かれていた。
 思わず嗤ってしまった。
 後藤事件を取材するというのなら、後藤氏のみならず、後藤氏が訴えている彼の家族、宮村氏や松永氏にインタビューするのはイロハ中のイロハである。監禁場所に現れた元女性信者の一人は、山口弁護士が代表を務める全国弁連の事務職員である。いずれの人も、取材をしようと思えば、簡単にできることである。

 すでに裁判が始まったから、今、取材に応じる人はいないかもしれない。
 しかし、田中清史エイト君は、アメリカだったかで、後藤氏と面談したことがあったし、全国弁連の秘密会合には宮村氏も出席していたわけだから、取材しようと思えばできたはずだ。
 全国弁連の事務職員には、山口氏を通して取材の申し込みをすることはできたはずだ。

 取材して書かない自分たちのサイトを、「新聞」と自称することに恥ずかしさを感じないのか、不思議でならない。どんなに想像力を働かせても、私には理解できないことである。
Posted by 米本 at 2011年04月02日 09:32
「ジャーナリズムのイロハ」(2)

 もう一つ不思議でならないのは、取材を全くしない「後藤事件取材班」の面々が、どんな問題でもきちんと取材をして書いてきた私に対して(あたりまえすぎて、書くのも恥ずかしいが)、したり顔で「その偏った取材姿勢など様々な問題点が度々指摘されており」と書いていることだ。

 おそらく、藤田氏の言葉をそのまま紹介したものと推測されるが、「様々な問題点を度々指摘された」ことは一度もない。少なくとも、そのようなことは言われたこともないし、読んだこともない。

 例外は、月刊『現代』に書いたルポ「書かれざる宗教監禁の恐怖と悲劇」に対して、山口弁護士が全国弁連の機関誌に批判的コメントを載せたこと。また北大の櫻井氏が前掲の本で批判的に取り上げたこと−の2つである。

 前者については「火の粉ブログ」で徹底的に批判したしhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-3.html#more、後者は宿谷麻子さんのサイト「夜桜餡」でこれまた完膚なきまでに批判したhttp://www5.plala.or.jp/hamahn-k/yonemoto.htm
 あとは、国会議員の有田芳生氏がブログで、私にレッテルを貼っているようだが、いずれ「火の粉ブログ」で批判するつもりだ。

 様々な問題点があるというのなら、根拠を示しながら具体的に指摘すべきだろう。

 それにしても、「第1回口頭弁論」のタイトルの記事で、どうして執拗に私にまとわりついてくるのか。

 我田引水の誹りを受けるかもしれないが、拉致監禁諸派にとって、私のブログが目障りでしようがないようだ。なぜなら、信者家族にも影響を及ぼすようになってきているからである。

 全国弁連の秘密会合でも、私のブログのことが話題になったという。「なんとかならないものか」と。

 ブログの更新をストップさせることはできない、とならば私の評価を貶めればいい。戦争の戦術である。
 その役割を担いつつあるのが、ライターの道を捨てた藤倉氏らのサイトであろう。

 震災のボランティア活動とまでは言わないが、ほかにやることはないのか、とつい溜め息が出てしまう。

 ずいぶん、変な新聞さんのために時間を費やしてしまった。ああ、能力の無駄遣い。これでオ〜シマイ。
Posted by at 2011年04月02日 09:47
 日本の地震・原発のことがこちらでも毎日のように放映され、気分がふさいでおりましたが、久しぶりに心から笑えることがありましのヨ。
 それで、日本の皆さま方にも、その「爆笑」のおすそ分け。


「やや日刊カルト新聞」のバックナンバーをたらたら読んでいましたら、2009年の10月22日にこんな記事が載っていましたワ。
http://dailycult.blogspot.com/2009/10/blog-post_22.html

 少しばかり(といっても半分くらい)、記事を引用しておきますね。

【お知らせ】主筆就任とインタビュー出演
 創刊より3週間の長きにわたり、弊紙の社主・編集長を務めてきた藤倉善郎が、一身上の都合により本日付で辞任いたしました。同時に、藤倉善郎が主筆に就任いたしました。今後、主筆が弊紙の代表を務めさせていただきます。
(引用終わり)

 思わず、ブフッ!
 飲んでいた麦茶をキーボードに吹き出してしまいましたワ。
 ギャッ、修理に出さなきゃァと一瞬真っ青になったけど(パソコンはサムスンじゃなく、日本製。修理が大変)、すぐに笑い転げてしまいましたワ。青くなったり赤くなったりする私の顔を見て、主人は怪訝な顔をしてましたたけど、次のことを説明するのは難しゅうございましたワ。
 本郷人のみなさんなら、わかっていただけると思いますが。


<これって、まるで小学校の新聞委員会みたいィ〜>

「創刊より3週間の長きにわたり」???
 3週間を「長き」って、大人は言いませんよね。やっぱし、小学校の学級新聞だワ。

「弊紙の社主」だってェ。も〜ォ、小学生のくせに大人のマネをしっちゃって。

「一身上の都合により」???
 ヒェ〜、編集長の肩書が主筆に変わっただけなのに、「一身上の都合により」だって。やっぱ、学級新聞だワ。

 それで、真面目に考えましたのヨ。
「やや〜新聞」の方って、大人ですよね。
 それなのに、学級新聞みたいなことを恥かしげもなく文章に。おそらく、小学校時代にクラスの新聞委員会にもなれず、教室の隅っこで、羨ましそうにしていた人たちばかりではないのかしら。
 何を隠そう、私も実はその一人でしたら、その辛さ・苦しみ・妬みがよ〜く、理解できますことヨ。

{きっと、ワタシだって、いつかは新聞を作って、世間を見返してやるわよ!}

 そうした同類がつどって、「やや〜新聞」を立ち上げたのでございましょッ。
 それで思いましたの。
<おばさんは、これから熱心に読むからね。愛読者になるからね。主筆様のファンになるからね。頑張れニッポンじゃなかった、頑張れややカルト>


 ところで、米本さんの長〜いコメント欄を読んで、考え込んでしまいましたとさ。(誰かさんのマネ)

 主筆様って、ホントは根っからのアホ、アワワッ、違いましたワ。根っからの健筆家なのですね〜。そう思いませんこと、みなさま。

 では、ご機嫌よう♪

 あっ、もう一言ございましワ。主筆様も、サイトで紹介されているような本を書かれんことを、遠い清平の礼拝堂で祈念したしますワ。頑張れ、主筆様!
Posted by アジュマ at 2011年04月02日 16:06
アジュマ様

確かに変ですね。創刊3週間で、社主から主筆に格下げなんて。

創刊3週間のブログを誰かが見ていると思って、読者が混乱しないようにとのはからいで格下げ記事を書いたのでしょうか。ならばブロガーとしては初心者もいいところ。初心者でなければ、相当自意識過剰の人か、最初から見る人が決まっていて(たとえばスポンサーとか)、その人たち向けに書いたのかも。

あの程度の広告では飯は食えないでしょう。ならばそのスポンサーは、広告主ではなく、あのブログにはバックがついているということ。

あるいは手弁当でということも考えられますが、手弁当なら、藤倉氏やエイト氏のような神出鬼没ぶりは発揮できないでしょう。

ま、ちょっとバックボーンを探るのが怖い「新聞」かも。
Posted by 神出鬼没 at 2011年04月02日 16:50
アジュマさんご紹介のURLの記事、読ませていただきました。


とても興味深い記事でございました。




ですが、アジュマさんのコメントの方が面白いです。

Posted by aki at 2011年04月02日 16:50
神出鬼没さん
>確かに変ですね。創刊3週間で、社主から主筆に格下げなんて

 とても鋭いですワ。

<藤倉社主・編集長が一身上の都合で退任し、同日付けで主筆に就任した>

 私も???でしたのヨ。
 
 社主って、会社や新聞社などの持ち主ってことでしょっ。朝日新聞社の社主とか。いわばオーナーね。
 その社主さんが主筆になる???。神出鬼没さんがおっしゃるように、明らかに降格でございますワ。

 ネットで調べてみましたのヨ。「朝日新聞」「社主」で。
 朝日新聞の社主は村山美知子さん。前社長村山長挙のご長女であられる。
 ある日突然、朝日の広告通知文で
「このたび弊社社主の村山美知子は一身上の都合で社主を退任し、同日付けで主筆に就任した」

 こんな広告が載ったら、日本中がヒエ〜。

(主筆って、論説主幹のような存在でしょ。村山美知子さんって、記者の経験もないのに、文章が書けるのかねえ)
(社主は誰に朝日の株を譲ったの)
(オーナーから一介のサラリーマン論説員に降格せざるを得なかった「一身上の都合」って?)

 まぁわかりやすく言えば、サムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長がいきなり営業本部長に降格されるような話。世界中のマスコミはヒェ〜となって、ソウルに殺到しますワ。

 ???はまだありますのヨ。
 人事異動の記事が載る場合、フツウ、新任と退任がセットですウ!
社主の後任は誰?
編集長の後任は誰?
前主筆の異動先は?

 ところが、一切書いてございませんの。

 それで、やはり「やや〜新聞」は、小学生の学級新聞みたいだと思いましたの。委員が肩書ゴッコをやってるのよね。


akiさん
>アジュマさんのコメントの方が面白いです。

 まあ、aki様!
 憧れのさそり座のお姉様から、お褒めていただけるなんて。「笑」のおすそ分けができてうれしいというか、もぉ〜ドキドキしちゃった。
 さっそく主人がいる部屋にバタバタと駆け込んで、報告しましたのヨ。
 面白かったですか?
 じゃあ、もっと勘張らなくなくっちゃア。


 ところで。
 ブログにリンクされていた後藤さんの裁判記事のコメント欄を読みましたの。そうしたら、コメント数は14本。そのうち米本さん絡みが6本も。
 暇ねえ〜なんて、言わないで。料理には手間隙かけてるし、私の作るキムチは、近所でも評判なんだからぁっ。エッヘン。

 それでまた???が。
 記事は後藤さんの裁判がテーマでしょっ。それなのに、なんで傍聴にきた米本さんのことを取り上げるのかしら。そんなにすごい人なのかしらん。
 それも
「アホ」
「性格悪そう」
「あることないかこと書いて霊感詐欺の手助けして金もらってる奴が正確言いわけない」

 主筆さまたちが小学生並みなら、投稿者の方たちは授業中は隅っこで小さくなっているのに、昼休みになると、とたんに張り切って、いじめっ子になる、品のヨロシクないお子様みた〜い。
 それにたった2行なのに、間違いが2つもあるワ。
 小学校時代の成績が・・・親御さんを思って(泣(泣(泣。

「間違い」さんが言ってるのはあれと、同じネ。
 勉強できない子が成績のいい子を先生にチクルやつ。
「先生、太郎君はカンニングしているから成績がいいんだよ」

 と書いて、アジュマはたとえが悪いことに気がつきましたとさ。
 こんなんじゃァ、akiお姉様をシラケさせるぅ〜。

「間違い」→「成績」と、連想してしまったよネ。あらためて、たとえを。

 自分が大嫌いな子を貶めるために、先生にチクルやつ。
「先生、給食費を盗んだのは太郎君だよ」

 先生曰く。「証拠は?」
「だって、そうに違いないんだもん」
「証拠はないの?」
「証拠なんてないけど、間違いないんだもん」
(小学生なら誣告罪に問われないでしょうが、大人は?)


 まあそんなこんなんで、最初の投稿の末尾に、「蛙(学級委員)の子は蛙(投稿者)」と書きましたとさ。クスッ(2つとも誰かさんのマネ)

 批判をするんだったら、もっと本気でやらなきゃア。でも、「拉致監禁はいかん」と実に単純で深みのないことを繰り返し述べているだけのイスラム原理主義者みたいな人のようだから、けっこう難しいかも〜。
Posted by アジュマ at 2011年04月03日 14:32
 アジュマさん、楽しく読ませていただきました。
 辛口のakiさんが面白いと評するだけのことはあります。

 イスラム原理主義者みたい?

 苦笑しながら、う〜ん、確かにそうかもしれません。

 でも、「逮捕監禁罪」が免責されるのは刑法第37条の「緊急避難」が適用される場合のみとなっていますから、いちがいに私だけが原理主義者ではなく、法律は遵守すべきだと思っている人はみんな原理主義者ですよ。

 ちなみに、刑法7条は「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない」となっています。
Posted by 米本 at 2011年04月03日 19:59
なかなか盛り上がっていますね。

ところで件の’やや日刊カルト新聞’とやらは
新聞じゃなくて単なる’ブログ’じゃないですか?

こちらにはそう書いてありますが
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%E4%A4%E4%C6%FC%B4%A9%A5%AB%A5%EB%A5%C8%BF%B7%CA%B9

発行部数は5部ということです。
記者は8名とのこと。
会社ならちゃんと給与はあるのかな。
ブログなら有志が集まって書いているだけだからいらないけど。

そもそも’やや日刊カルト新聞社’なる会社存在するんですかね?
かつて社主様がおられたようですが、、、。
まっとうな会社なら、登記されているものだと思うのだけれど、、。

もし、’自称新聞社’というならそれでもいいけど。
もし、新聞社として会社の登記もされていない’単なる新聞風ブログ’ならまともな新聞社としての内容、品格を求めること自体ナンセンスでしょう?

Posted by 秀 at 2011年04月04日 12:37
アジュマさん

あら、私を御存じなんですか?
それは光栄なことでございますわ。

でも、ワタクシ、もう面白くもない文章しか書けなくなってしまいましたのよ。
ごめんあそばせ。



「やや日刊カルト新聞」ってお名前は・・・


http://www.1101.com/index.html
「ほぼ日刊イトイ新聞」をリスペクトしてお付けになったお名前だと思っておりましたわ・・・
つまりパクリのような名前だと。
独創性も何もないんですのねぇ。

そういう方々が新聞社ごっこをしていらっしゃるのですから、生温かく見守って差し上げるのが一番かと。
Posted by aki at 2011年04月04日 19:16
以前、チベット僧が来日してメインスピーカーとして中国の人権問題を必死に訴えましたが、そのときに「やや日刊カルト新聞」の藤倉氏はメインではないスピーカーとして少しの時間鹿しゃべらなかった中井天山氏のみをターゲットに質問して、チベットにおける中国の人権問題がかすんでしまいました。

カルトに関心を持っているのはいいけれども、そっちのほうに関心を持ちすぎて、肝心の人権問題がかすんでしまうのは、大きな問題をはらんでいます。

後藤さんの拉致監禁訴訟に対しても、やや日刊カルト新聞は同じ問題を露呈しています。教団のカルト性に関心を持っているのはいいけれども、そのことにこだわりすぎて後藤氏の人権問題には関心を一切示さない。問題大有りの「新聞」ですね。
Posted by 河北 広 at 2011年04月04日 19:40
akiさん
>あら、私を御存じなんですか?
それは光栄なことでございますわ。

 あら、aki姉様ったら。
 トウイツ業界で、さそり座のaki姉様を知らない人がいたとしてら、それは業界の人でもありませんワ。たんなる一見さん。

それにしても、「やや日刊カルト新聞」が「ほぼ日刊イトイ新聞」のパクリだとは、すごい洞察力ネ。

かの御仁は「やや新聞」なのか「ややカルト」なのか、呻吟されていたようだけど、aki姉様の思考をお頂戴していえば、

「思いっきりカルト新聞」にすべきですワ。

 だって、すごい善悪二元論ですもん。

これからも、aki姉様の鋭く冷たく刺すような文章、拝見したいですワ。
 ご同志とお見受けいたしましたかの御仁が、「思いっきりカルト新聞」でやられているのですから、あそこのコメント欄で暴れて欲しいですワ。

河北 広さん
>カルトに関心を持っているのはいいけれども、そっちのほうに関心を持ちすぎて、肝心の人権問題がかすんでしまうのは、大きな問題をはらんでいます。

 やっぱりそうね。かの御仁がいう通り、本質的なところ(チベット人への虐殺)に目を向けないで、横っちょ的。藤倉主筆様も、もう少しライターさんとして鍛練しなければネ。とっとと〜、ライター見習いさんだった(汗
Posted by アジュマ at 2011年04月06日 20:51
藤倉主筆の「やや日刊カルト新聞」がほとんどイエロージャーナリズムに見える原因が、今ふと気がついた欠陥から来るものだということが分かりました。

神出鬼没氏やakiさん、アジュマさんのご指摘にも鋭いものがありますが、もう一つ、かの「やや日刊カルト新聞」の記事には致命的欠陥があります。

かの記事をじっとよく見てください。後藤氏の訴訟の記事でありながら、よく見ると後藤氏の訴状の要点が書いてないのです。訴状については、「後藤氏側は支援団体「拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会」(代表世話人は現役統一協会信者の原田和彦氏)がブログを立ち上げ、今後の裁判をリポートしていく姿勢を見せている。」とかいて、「拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会」でリンクをするだけで済ませています。なんとまあ、なんとまあですよ。

これじゃあ、相手の主張もちゃんと書かないで悪口ばかり書く、学級新聞以下の「新聞」です。だいたい、きちんとした記者の経験もない人が主筆とあがめたてまつられるブログですから、記事らしい記事をかけと望むのは、ないものねだりだと分かってはいるのですが、これだけ決定的な欠陥を見せつけれられると……。「やや日刊カルト新聞」をイエロージャーナリズムだと批判したら、イエロージャーナリズムの記者に失礼かと思い始めました。
Posted by 川北 広 at 2011年04月09日 17:10
拉致監禁の首謀者の化けの皮がついに暴かれました。

拡散希望です。

http://miyamurakirai.blog104.fc2.com/blog-entry-1.html

http://blogs.yahoo.co.jp/miyamurakirai/4279660.html
Posted by 白い旅団 at 2011年06月07日 02:58
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