韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(2)〜(5)はこちらでどうぞ

2011年03月04日

在米拉致監禁未遂事件被害者が体験談を寄稿

自身が伝道した人が脱会後宮村氏の会社に就職統一教会,統一協会,救出,検察審査会,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
連載の途中ではありますが、アメリカ在住拉致監禁被害者の会の副リーダーを務めているEIさん(女性)から、拉致監禁未遂事件体験談をいただきました。彼女が伝道したTM君(男性)が宮村氏による説得を受けて脱会。彼女が伝道した人たちが芋づる式に拉致監禁による脱会説得を受けました。EMさんはこの拉致問題をアメリカの多くの人に理解をもとめ、啓蒙し、有識者に訴えてゆく活動をしています。
◇        ◇       ◇       ◇
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 宮村氏の会社潟^ップ(えんじ色の廂の部分。隣は全く無関係の事務所)
私の妹、義弟の拉致監禁について、報告いたします。

私は1986年に(統一教会に)導かれ、その後、妹夫婦を伝道して、翌年、献身しました。妹夫婦も、当時は既成家庭でしたが、青年のメンバーと同じ様に、(伝道などの)前線に出たり、ビデオセンターで、トーカー(来訪者に教義を解説したり献金を勧めたりするカウンセラーのこと)をやったり、みんなと同じ館にすんで、活動していました。

私達は当時、親から反対を受けておりましたが、当時はまだ、反牧(統一教会に反対している牧師のこと)とのかかわりはなく単に説得して(統一教会を辞めて)帰ってきて欲しいと訴えてきました。よく電話などでやり取りをする程度でした。池袋教会に一度、巨人軍の長島監督のお姉さんと名乗るひとが2人やってきて、あなたのお父さんから頼まれてやってきた、私達は霊波の光の信仰をもっている、弟が野球で成功したのも我々の信仰のおかげである、統一教会は以前から異端ときいているが、お父さん、お母さんがすごく心配している、と説得されました。私は教会の責任者と一緒に喫茶店で、その方たちと会いましたが。そのお姉さんという人たちは、相手の話を一切聞かず、統一教会は、完全に間違った団体、と全く一方的な態度で、責任者の方はなにもいえないような状況で、話し合いにもならなかったのを覚えています。

その後、両親は、勝共議員(統一教会の友好団体である政治団体国際勝共連合と付き合いの深い国会議員や地方議員のこと)とか、有力者に依頼したりあらゆる方法で説得をしたいと思ったのでしょうが私達が信仰が揺るがないと見て相当、落胆したようです。反対牧師と出会う前は、両親も、私達を説得するため、そういう形で改宗を迫ってきました。うちは家業が温泉旅館で大きくはないですが、かなりお客の多い旅館でした。父はなんとしても、後継ぎが必要で、私達がみんなで、教会に行ってしまうことは、死活問題でした。

私は当時から何人かの人を伝道していましたが、そのなかにTMという青年がいました。彼は、日大芸術学部で、映画監督を目指している素直で鋭い感性を持った人でした。彼は、伝道されてからすぐに多くの人を伝道して、(実績は)トップだったと思います。一度、教会のメンバーで、長野にある、うちの旅館に泊まりに来てスキーを楽しんだことがありますが、その時、TM君は、足を骨折して、しばらく動けなかったことがあります。そのとき、教会活動を皆と一緒にも出来ず、非常に孤独な思いをしていた時期があります。すこし骨折が治ったころ実家のお母さんが、彼に家に帰るようにということで、当時、東京に出てきたお母さんに会いに行ってそのまま、拉致されてしまいました。

その後、彼は私達の両親に連絡して、反牧を紹介したのだと思います。あるとき、法事ということで、長野に妹夫婦が帰ったとき、二人とも拉致され、長野駅前のマンションで、3ヶ月ほど、脱会説得を受け、そのまま、旅館を継いでいくという事になりました。当初は、拉致されるかもしれないという心配はあったのですが、疑いは半々でした。親をなだめるためにも、一度帰ったほうが今後のためということで、帰ったのですが、両親たちは、駅前にマンションを拉致目的で購入し、バンも買ったという事です。それで、準備を万全にして彼等をむかえ、反牧の指示のままに、拉致行為をしたのだと思います。

その後、私は外にでるのも、ままならない生活になり、名前を変えたり、出歩く時も、自分を守る為、カッターナイフを所持したりするようになりました。道で突然のように暴力的に連れて行かれるケースもたくさんあると聞いていたからです。それに私が伝道した人たち、(すなわち)霊の子(※4)や、その下の伝道した人たちも次々と拉致されて、10人から15人ぐらい、拉致されていたのです。それで、自分もきっと次にやられると思って怯えた毎日を送っていました。

それで、慎重に行動していたわけですが、ある日、母から、一度どうしても会いたいといって電話がありました。警察には、保護願いが出ていて、前線中に捕まったら強制的に家に連れ戻されるようになっていました。私は会う気はないからといって、何度が断ったのですが、あなたの信仰は認める、ただ、親として一度だけでも、会いたいというので、(拉致監禁)対策の人や教会責任者と相談して、教会の中だったら、会ってもいいのではないかということになりました。

当時、私は池袋教会にいましたが、長野教会に行ってそこで会うことになりました。長野教会のほうには、きちんと自分の事情を話したうえで、教会で母と話しました。いろいろ話した後、母が帰ろうとしたそのとき、教会に父や、叔父、親戚たちがなだれこんで来ようとしました。それで、あわてて、祈祷室に隠れました。当時、教会には総務の方と会計の女性だけしかいませんでした。本当に怖かったです。それでも、総務のかたが宮沢さんというかたでしたが、勇敢にも、彼等を入らせまいと必死で、押し出そうとしていました。

そのうち、乱闘のような騒ぎになり、私はずっと、祈祷室の押入れでじっとしているしかなかったのですが、かなり、人の怒鳴る声や、物が壊れるような音が聞こえていました。それから、多くの人が教会に、集まって言い争いをしていて、かなり騒然としているような感じでした。
私は絶対にここから出てはいけないと言われ、何時間もそこに、じっとしていました。すぐ、脇の廊下で、父の「E子!E子!」と叫ぶ声が大きく聞こえた時はもうだめか、と思ったのですが、そのまま、じっとしているとまた、物が割れるような音が聞こえて生きた心地がしませんでした。それでも、じっとそこで待っているほかはなく、非常に緊張した時間が流れました。何時間たったのか、あまり覚えていませんが、4時間ぐらいか、それ以上だったと思います。

そのうち、宮沢さんが、もう大丈夫です、といって出てくることが出来ました。出てくるとたくさんの教会の人がそこにいました。
結局、教会の人が警察を呼でくれて、両親がもし、このまま、教会に入り込んだ場合、家宅侵入罪となることを話して、説得をし、その後、40人以上の教会メンバーを呼び集めて、侵入を守ったそうです。私は教会が準備してくれた三台の車のうち一台にすばやく乗って、最寄の長野駅ではなく、念のため松本駅まで、送ってもらいそこから、電車で帰ってきました。無事、東京まで帰ることがまるで、奇跡とも思える出来事でした。

帰るとき、電車のなかで、両親に電話をしました。父は、相当がっかりしており、情けない情けないとそればかり言っていました。親戚まで呼んで、相当の準備をして車も、三台、それぞれに無線で、連絡しながら、用意周到にやったのに、上手くいかなかったので、本当にがっかりしたという気持ちでしょう。

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宮村氏の主宰する水茎会のアジトがあった杉並区荻窪のマンション
その後、私は運良くグリーンカード(米国永住権)のロットで当選して、翌年そのまま、渡米しました。1989年8月のことです。その後、両親、妹夫婦は、ますます、反対活動に火がついたようになり、積極的にその関係者とかかわりをもつようになりました。山崎浩子さんとも、親しい関係があり、一度、お産で福島に帰ったとき、是非、山崎さんに会ってほしいと、電話で説得されました。私はその気はないからときっぱり断ったのですが、その後、アメリカに帰って2年後、ミシガンにいた時、東京の教会から電話があり、EIさん(筆者自身)が訴えられているというので、どういう事かと聞くと、EIさんから伝道されたTMさんという元教会信者が、統一教会に青春を奪われた、自分は教会から、強制的に活動を強いられ、不本意な生活を送り人生を台無しにされた、損害賠償をして欲しいと言うのです。

それで、一度、東京にきて、裁判の時、教会側の証人として立って欲しいといわれました。当時、私の夫は日本食料品店の店長で新規店のため、徹夜続き、子供も赤ん坊で行くのは困難と言いましたら、それでは、当時のいきさつと、彼の状況についての事実をありのままに書いて欲しいといわれ、事実関係をレポートして、東京に送りました。彼は伝道されて以来、非常に自発的に教会活動をしていました。宮村に脱会説得を受けて統一教会を脱会したのちは、宮村の経営する広告代理店に就職していたそうです。私はTM君が、周囲が強制したわけでなく、教会の教理をよく理解したうえで、本人の意思の元で自発的に伝道や、F(経済活動のこと)をしていたことなど、書いて送った記憶があります。もう反対派の事に関しては、私は記憶から消し去りたい、もう関わりたくないと言う思いで、長年、両親とも、接触がありませんでした。

ようやく、最近になって、20年ぶりに電話での会話ができるようになりました。ふりかえれば、正常な親子関係が、根本から壊されて、当時の思いは経験者しかわからないような、教会内での激しい葛藤、恐怖、いつまで、こういうことが、続くのか、うんざりとした思いの毎日でした。こちらの方が、本来は被害者であるべきではないか、なぜ、教会の正当性がいつまでも、無視されて、反対活動がまかり通ってしまうのか、理不尽な思いです。

偶然にもグリーンカードが当たって、幸運にも、いままで、こうして、アメリカにいたから、無事、家庭を持ち、平穏に生活できたと思います。もし、あのまま、日本にいたら、私はいつか被害に会っていたことでしょう。そして、保護説得と言う名目で、精神的な苦痛を受け、不本意な人生を送っていたかもしれません。こんなことが、日本で無数に起こってきたことを社会に明るみにしてほしいです。

インディアナ EI

posted by 原田和彦 at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 体験談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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