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2011年02月16日

座談会記事の裏に隠れた巧妙なレトリック

月刊TIMES4月号座談会記事に見る宮村氏の欺瞞(2)─時間的経緯を考慮すると崩れる宮村氏の言い訳統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
先回から月刊Times4月号の有田芳生氏、宮村峻氏、山口広氏らによる座談会の検討に入っている。ブログの目的は宮村氏の研究なので、宮村氏以外の人たちの発言にはあまり触れないが、全体的な読後感を少し書いておく。
私の読後感は、記事のタイトル「追いつめられる統一教会の悪あがき」「信者の保護・説得を拉致監禁・強制改宗と強弁」に象徴されるように、統一教会が悪いから、「保護説得」は当たり前なのだという、座談会参加者の雰囲気に大変な違和感を感じる。まず、二番目のサブタイトルに誤りがあるので、この点を先に指摘しておく。「保護・説得」を「拉致監禁」と強弁しているというが、本ブログを最初から読んでいただくと分かるが、「保護説得」こそ呼び名を変えた「拉致監禁」なのだ。拉致監禁に反対している人たちは、決して強弁しているわけではない。見出しからして読者を誤解に導くこの記事自体に、かなりの違和感を感じるのはブログ管理人のみではあるまい。

それで、統一教会が悪いから、「保護説得」は当たり前というこの記事の主張のどこに違和感を感じるのか。悪いことをしている人を、強制的にでも、監禁部屋に閉じ込めてでも反省させ、更生させるのは、そう悪いことではないのではないか、と考える人もいるだろう。しかし、この座談会の記事の根底にある、悪いことをする人を、強制的にでも「保護説得」をするという考え方には、根本的にずれたとらえ方がある。当ブログ管理人としては、悪いのは統一教会であれば、改善されなければならないのは統一教会であろう。つまり、宗教法人のはく奪・解散を最大限の懲罰として、それより以下の措置により強制的にでも改善されなければならないのは、座談会の記事を見る限り、統一教会でなければならない。ところが、「保護説得」あるいは「拉致監禁」により、人によってはPTSDを罹患するほどの打撃を受けるのは、一信者なのである。この点、違和感を感じる人は多いのではないか。

悪いのは統一教会、と言っておきながら、実際に拉致監禁請負人がターゲットにしているのは、「保護説得」「拉致監禁」されて家族崩壊、精神疾患の罹患へと追い込まれる一信者なのだ。こういった巧妙なレトリックが、この拉致監禁事件に関する座談会記事の裏には隠されている。そういった次第であるから、この記事自体、論評するに値しない記事なのだが、あまり表に出ることのない拉致監禁請負人の重鎮宮村氏が発言している記事であるので、記事自体の信憑性というよりは、その中の宮村氏の発言に注目したいということで、取り上げるのである。

さて、宮村氏の発言記事ののっけから、はっきりとウソと分かる発言が出ていたが、それからまた10行と経ないうちに、また微妙な箇所に出くわす。後藤徹氏が新潟のマンションに監禁されて2年以上たったころ、宮村氏は後藤氏の両親から脱会説得の依頼を受けたという。その時宮村氏は「後藤君が承諾するのであれば話をします」と申し上げたそうだ。後藤氏が家族と一緒に東京に来たのはそれからだという。

ここで、後藤氏はどういう形で東京に来たのか、米本和広氏の「火の粉を払え」ブログの「後藤徹の陳述書D」を参照していただきたい。そこには、後藤氏が東京に来たのは、「「父と最後のお別れをするから」との理由で再度ワゴン車に監禁され東京の自宅に連行されました。」とある。そしてさらに、「私は再度新潟のマンションに戻ってくるものと思ったことから、財布、免許証、現金などの所持品は新潟のマンションに置いたままにしていました。」ということだ。つまり、宮村氏が脱会説得するということは、この時後藤氏には知らされていない。後藤氏は、宮村氏が脱会説得をすることに承諾して東京に来たわけではないのだ。後藤氏は父の亡骸と対面した後、新潟に帰るつもりであった。

父が亡くなったのは1997年6月22日。後藤氏は父の死後まもなく東京に移送された。宮村氏が後藤氏の両親に脱会説得の依頼を受けたのは、座談会記事の自身の発言から見ると、後藤氏の父の余命が3カ月と言われていた時期だ。すると、1997年の3月ごろか。宮村氏が脱会説得に入るのは、「後藤徹の申述書F」によると、1998年1月初旬からである。後藤氏の父から「このまま死ぬのはたまらん。宮村さん、どうしても徹と話してもらえませんか」(座談会記事による)と依頼され、脱会説得に入ったのは依頼者の死後半年もたったころだということになる。

では、なぜ脱会説得の依頼を受けながら、後藤さんの父の目の色の黒い間に宮村氏は願いを果たしてあげなかったのだろう。「後藤徹の陳述書E」によれば、後藤氏は新潟での2年3カ月の間脱会表明をしており、後藤氏はこのままではどうしようもないと、荻窪フラワーホームの804号室に移送されてすぐの1997年12月ごろに信仰保持の告白をするまで、脱会したふりをしていた。ならば、この間宮村氏に話をしてもらうと家族から持ちかけられれば、後藤氏はすぐに同意したはずである。宮村氏との面会拒否は、信仰をまだ持っているとみられ、偽装脱会には不利である。ということは、後藤氏は兄や兄嫁や母や妹から、宮村氏との面会をもちかけられなかったか、あるいは持ちかけられて同意したものの、宮村氏の側から延期させられたものだと見ることができる。つまり、父の願いを家族が無視したか、そうでなければ宮村氏の方から、父の願いを受け入れなかったことになる。

どう考えても、後藤氏の父から依頼を受け、後藤氏が承諾するのなら話をすると受けたという部分、胡散臭いのである。後藤氏の家族は、後藤氏に早く脱会してほしいはずである。ならば、宮村氏の説得を心待ちにしていたに違いない。後藤氏の方でも、家族から提案があれば、宮村氏を拒むことはできない。ならば、後藤氏は承諾していたが、宮村氏の方が説得を延期していたと考えるのが普通ではないか。となれば、「後藤氏が承諾するのであれば話をします」というのは、この時点ではウソっぽい。

さらにその次の発言部分にも、時間の経過というものを考えなければ、意味不明な発言がある。「統一教会の教えも活動もすべてがでたらめだと分かった」と後藤氏が言い始めた。しかし「自分は自分のしたいことをする」と言い始めた。これを宮村氏は約めて「でたらめでもやりたい」と解釈した。どうも意味が分からない部分である。「でたらめでもやりたい」と、後藤氏が本当にそんなことを言うであろうか。

これまで述べてきた経過から見ても、この「統一教会の教えも活動も全てがでたらめだと分かった」と後藤氏が発言したのは、偽装脱会を試みている時期のことではないだろうか。そして「やりたいことをやる」というのは、偽装脱会は埒が明かないと後藤氏が信仰保持表明をして以降の発言ではないだろうか。そういう時間的経緯を考慮に入れると、初めて後藤氏の発言の真意が見えてくる。

では宮村氏はなぜこのような捉え方をしたのであろうか。宮村氏はその後、2度の例外を除き顔を出さなくなる。つまり、説得を断念したのである。そのためには口実が必要だ。しかし、適切な口実がなく、後藤氏の発言を時機を約めることで、こんなおかしなことを言う人を説得することはできないと、強弁したのである。多少牽強付会に感じる人はいるかもしれないが、それ以外に、この箇所を正確に理解できる解釈はないであろう。

もう一つ、今回の最後に、その次にくる言葉もまた、後藤氏の12年5カ月がまさに拉致監禁であったことを証明している。「最後は彼が「突破」して脱出したのではなく、逆に途方に暮れた家族の方が彼を追い出したんですね。」とある。後藤氏が、自由意思によりこのマンションに住んでいたとすれば、なぜ「突破」して脱出したのかどうか言及するであろうか。また途方に暮れた家族が彼を追い出すということがあるだろうか。彼が自由意思でそこに住んでいるのである。途方に暮れたならば、自分たちの方が出ていくのが、当たり前の行動であろう。検察審査会の議決通知書でも、妹が40歳になるまでの約10年間を犠牲と思わないなどと述懐しているが、後藤氏が自分で住んでいるマンションに、10年も妹が同居するということは、どう考えてもおかしなことである。また犠牲と思わないなどという言葉が出てくること自体、不自然なことである。このおかしさ、不自然さは、後藤氏の12年5カ月が拉致監禁であったという理解の上で初めて解消する。
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