韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(2)〜(5)はこちらでどうぞ

2011年01月15日

続:正月元旦に拉致監禁事件が発生

もしも脱出で落下したら宮村氏は責任をとるのか統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
espowallshirakawa03_2.jpg電柱を伝って下りたMAさんの勇気をたたえたい。と同時に、拉致監禁を指導しているのは宮村氏であるから、もしMAさんが脱出に失敗し、落下等の事故が発生した場合には、当然のことながら宮村氏が全責任を負わなければならないことになる。もしもの事態が発生した場合に責任を逃れるような人に対しては、指導をお願いする親はいなくなるであろうから。
まず、マンションは当然のことながら拉致監禁に入る前に用意される。このとき、宮村氏が現地を調査しに来たのかどうかは分からない。しかし、宮村氏がもし事前に調査をしなかったとすれば、指導者としては無責任だということになる。事前調査をしたとすれば、MAさんが電柱に飛び移る可能性を考慮しなかったということになり、MAさんが脱出したことについて宮村氏はMAさんの親を責めることはできない。それは宮村氏の過失であるからだ。

拉致監禁から現在連載中の本ブログ「検察審査会議決通知書を読む」シリーズの脱会カウンセラーに絶対的にゆだねよ??でも触れたが、宮村氏は自身が著者の一人となっている「親は何を知るべきか」(いのちのことば社)で、脱会カウンセラーに絶対的にゆだねることを求めている。ならば拉致監禁を巡るすべての状況において発生しうる事故の責任も脱会カウンセラーにゆだねられることになる。もう一度その部分を書いておく。
彼が説くのは、まず第一に信者になってしまった子供への愛情だ。これ自体は何の問題もないように見える。しかし、小出氏に聞くシリーズでも述べたように、愛情があるなら暴力をふるってでも脱会させる(事実、監禁という行為自体が暴力である)というようになれば、これは愛情の逸脱である。

次に彼が説くのは親の見方は往々にして甘く、「救出」できるタイミングとして手遅れになる場合が多いということだ。話せばわかる、自分のいうことだったら子供は聞いてくれる、自分の子供はそんなバカではない、と思うのは間違いであるという。今目の前にいる子供はもはや自分の知っている子供ではない、だから信頼できるカウンセラーに任せなさいと宮村氏は説いている。

宮村氏は統一教会に伝道されるパターンとして4つのケースを挙げ、統一教会の教えが根付いて行くのに3つのレベルがあるという。この4つのケースと3つのレベルの説明で、宮村氏が言わんとしているのは、先に挙げたように親は子供を信頼したがる傾向があるので、最初のレベルは見落とされがちであり、知らない間に最高レベルまで進行しているということだ。

さあそこで、この段階で子供を「破壊的カルト」から取り戻すには、早さよりも確実さが大事だという。この確実さを保証するために、失敗は許されないこと、時間は1,2年、あるいはそれ以上かかると認識すること、家族全員(実際の指導では親族全員となる)の一致協力が必要であると認識することが大事だと宮村氏は書いている。また、親は厳しさを持たなければならないことを強調している。

ここまでくれば、もうあとやるべきことはただ一つ、信頼できるカウンセラーを探し、見つけ出したら迷わず彼を信頼することだという。つまりカウンセラーの指導にすべてをゆだねよということだ。

以上、「親は何を知るべきか」という本の、宮村氏が執筆した部分を見てきて、これまで拉致監禁被害者の体験談を読まれた方は理解できたと思う。異常な拉致監禁による脱会説得が、なぜ成立してしまうのかということが。宮村氏らがこういうことを信者の家族や親族に、研修会などで吹き込むことで、異常なほどの決意を親族全体が固めてしまうのだ。その結果、拉致監禁被害者がどんなに精神的、あるいは肉体的打撃を受けても、徹底的に脱会説得を成功させてしまうということなのだ。宮村氏の著述部分を見ても、拉致監禁による脱会説得は、家族が自ら考えて覚悟を固めたものではなく家族以外の他者から吹き込まれて、家族が、親族が、その気になってしまったものだということが分かる。
少し引用が長くなったが、信者を脱会させようとする親は、宮村氏に絶対的に従うことを要求される。そのことはまた、同シリーズ「拉致監禁に責任を持っていた宮村氏」でも明らかにした。以下のとおりである。
「逮捕、監禁について、被疑者松永および同宮村が関与したとする証拠はない」─この判断が誤りであることは、これまでの論証ではっきりしたと思う。もう一度拉致監禁を宮村氏から指導された親の言葉を振り返り、水茎会の実態をもう少し詳しく見ていくことで、改めて確認しておく。
その間も連日、父だけは隠してあった電話で宮村氏と松永牧師に状況を報告し、指示を受けていた。電話連絡による指示を受けなければ、父も私にどう対処したらよいか分からなかったようだ。
父が(宮村氏に)電話連絡したあとに、突然態度や言うことが変わってしまうこともしばしばあった。宮村氏らにコントロールされ、いいなりになる父の姿を見て、その時ほど悲しかったことはなかった。

小出浩久氏が著書「人さらいからの脱出」(光言社刊)でつづっている父の姿だ。
父は後日、「宮村さんのような人に電話をかけるのは本当嫌なんだよ。こちらを尊重することが全くない。忙しければ『十分後にしろ!』。そして十分後にかければ、『もう十分』。そして最後に『今日はもう遅いから、明朝にしてくれ!』と。こんな扱われ方をしたのは生まれて初めてだ。自分の意思と少しでも合わないところがあると、『そうか、それじゃ勝手にしろ! おれはもう責任をもたないからな』と言ってくる。相談なんてする余地もない。そういう電話をかけていたんだぞ。おまえのためを思って」と、しみじみと語った。(同書104ページ)
「もうおれは責任をもたないからな」つまり宮村氏は責任をもっていたことをはっきりと自分から言明している。「監禁250日証言─脱会屋のすべて」(光言社刊)の著者、鳥海豊氏も両親から同様の言葉を聞いている。
私が脱出した後、父親がしみじみと語ってくれた。
あの時、おまえが「縄をつけてもいいから外へ出してくれないか」と宮村さんに頼んだのに、宮村さんは「縄なんかつけないよ」とか行ったきり、結局閉じ込めたままだった。豊があんなに泣きながら頼んでも、ああ、宮村さんは外へ出してくれないんだな、と本当に私は心が痛かった。でも宮村さんがそうするんだから、仕方がないと……」。(同書80ページ)
それは私が脱出した後、母親から聞いた話によって明らかである。「あそこで裁判する気になっていたけれど、豊の様子を見るたびに、ああ、こんな感じなら裁判なんてとてもできない。無理だ、無理だと思っていたのよ。でも、すべて宮村さんにお任せしてあったから、何も言えなかった。」(同書117ページ)
小出氏においては父親が、また鳥海氏においては両親がこのように述懐しているのである。間違いなく、両者の拉致監禁は
宮村氏が責任を持ち指導的立場にあり、両親は何も言えない立場に置かれていた。
以上のように、拉致監禁では親や親族は宮村氏の絶対的なコントロール下に置かれている。これらのことを踏まえて、もし1月3日の脱出時点で被害者が落下していたら、宮村氏の責任はどうなるのか。当然ながら、その事故の全責任を負わねばならない。非常事態に対して責任を負えない人には、もう心底従ってくる親はいなくなるだろう。宮村氏に脱会説得を依頼する親は、今後はこのような点に留意すべきである。

では、実際に落下した例はあるのか。ある。二例ほど挙げておく。

一人は現在統一教会の東東京教区新宿教会教会長の野副牧人さん。1992年9月10日午後5時ごろ埼玉県寄居市の自宅で拉致監禁された。脱会説得者はさいたま福音キリスト教会の坂下章太郎牧師。野副さんは同年8月25日の統一教会の3万双合同祝福結婚式に参加し、その報告のために帰宅したところを、それまで野副さんに知られないようにして2年間にわたり荻窪栄光教会で拉致監禁のための教育を受けた母親と妹を中心とした親族らによって拉致された。野副さんは10月3日脱出したが、その時3階から飛び降り、第一腰椎粉砕骨折の重傷を負った。医師から「再生は不可能。下半身不随になるかもしれない」と告げられ、奇跡的に回復したものの、身長は3センチ縮み、今もその後遺症に苦しんでいる。

飛び降りの時の状況はこうだ。
 「よし、脱出!」、もう夜中の3時を回っていたと思います。そっとベランダのガラス戸のところへ行き、鍵を下ろしてみました。初めての感触ですが、簡単に開きました。
ガラガラっと音がしたので、一瞬緊張が走りましたが、もうためらわずにベランダの塀の上に立ちました。(後で思ったのですが、もっとゆっくり壁をたどってずり落ちるようにして降りることが出来なかったか、とか。)そしてジャンプしました。もうその後は少し記憶がありません。土の上でしばらく気絶していたということになります。(約2時間くらい倒れていました。)目が覚めて辺りを見回しました。そのときの状況はこうです。「いったい自分はここで何しているんだ、何で泥だらけなんだ。」瞬間的な記憶喪失でした。そしてそこから動こうとすると、腰に激痛が走り、とても動けませんでした。まず、記憶を取り戻そうと思い、その場でとっさに祈りました。
 「神様、自分はいったいここで何をしているんでしょうか?」
 また、回りを見回してみると自分がしゃがみこんでいるところのすぐ後ろに高いマンションが聳え立っていました。ぼうっと見上げていたら、はっと記憶が戻って来ました。
 「そうだ、飛び降りたんだ。」と、思った瞬間、また緊張感が戻って、「そうだ、ここから逃げなくては。」回りもだんだん明るくなって来ていました。もう明け方5時を回っていたと思います。「また捕まってしまう!」
 激痛の腰を引きずりながら、20メートルほどひじで這って、栗林を抜けて車道にたどり着きました。立ち上がれない状態でしたので客観的に見れば、完全に事故状態です。
そこにたまたまタクシーが通りがかり、即乗り込むことが出来ました。とても神様を感じました。当然、タクシーの運転手さんは「事故ですか?」と、驚いた顔で聞いてきました。拉致監禁から脱出して来たと言うと通報されるかも知れないと思い、一瞬考えて「はい、事故です。」と答えました。
本人の談話はまだ続くが、落下(この場合は飛び降り)の状況は以上の通りだ。もう1例挙げる。岡本圭二氏マンション墜落事件がそれだ。

 1994年2月、大阪で統一教会信者であるO氏が監禁場所のマンション6階から脱出しようとしたさい、駆け付けた家族らが中に引き戻そうとしてO氏ともみ合い、その最中にO氏が転落、瀕死の重傷を負うという事故が発生した。脱会説得牧師は神戸真教会の高澤守牧師。O氏は6階から逃げ出そうとしてベランダに出て柵を越え、5階に降りようとしたところ、滑って地面に転落した。病院に運ばれたが、結局記憶喪失になってしまった。現在は半分くらいは戻ったといわれているが、全部戻ったらどうなるか。きっと高澤牧師もそのことを恐れたのであろう。さすがにこの時は高澤牧師も、拉致監禁を辞めようかと思ったそうだ。高澤牧師の証言では、O君は脳や肺を損傷し、医師の目から見て助からないほどの重傷であったという。高澤牧師は、岡本君が改宗説得を受けることを嫌がっていたこと、玄関から出られない監禁状態にあったことを認めている。なお、この件についてはもう一つ書くべきことがある。それは、高澤牧師が事故後の記憶を喪失した被害者のO氏を含め親子3人に洗礼を授けていることだ。O氏は記憶喪失以前、統一教会の信仰を棄てたわけでもなかった。記憶喪失の中で統一教会に反対する側の教会の洗礼を受けたO氏が、記憶が完全に戻ったときにどう思うか。こんなことが許されるのだろうか。

以上二つの転落事例を紹介したが、いずれも拉致監禁という事態の中で生じたことである。普通の社会生活の中でおきたことであれば、監督者の不行き届きによって生じた事故は、何らかの責任が問われる。しかし、拉致監禁ではそれが問われず、被害者たちは泣き寝入りの状態となっている。MAさんの場合も、もし足を踏み外して転落した場合、宮村氏は責任逃れをするのであろうか。
posted by 原田和彦 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮村氏関与の拉致監禁事例 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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