韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(2)〜(5)はこちらでどうぞ

2010年11月24日

わずか12行の文章に多数の疑問点

検察審査会議決通知書を読む(9)─真夜中に、車内で排尿してまでノンストップで新潟へ統一教会,統一協会,救出,検察審査会,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
前回、検察審査会の審議および議決では、恣意的な議決が行われる可能性が十分あることを、ジャーナリストの米本和広氏、および有田芳生参議院議員の見解から導き出した。今回の後藤徹氏の拉致監禁事件の検察不起訴に対する申し立てに対して、下された議決とその通知書を見ると、その可能性が現実となって現れた感がぬぐいきれない。
まず、選出の仕方がどうなっているのか。事務局長が選出する際に、立会人がつくのは補充人員を選出するときのみである。コンピューターに履歴やログなどが残る仕組みになっているのかもしれないが、事務局長の意向が働く余地はないのか、一抹の不安をぬぐいきれない。有田氏が指摘したように、100万分の7回しか起こり得ないことが実際に起きている。また、基本的に素人集団なので、補助審査員に反対弁連の弁護士などが選出されれば、審議に大きな影響を及ぼすことも考えられるし、議決文を書くことはできないまでも、たたき台を作ることは容易であろう。そして、素人集団であるため、だれも異議を唱えることができず、ほとんど無修正で、審査員が書いたものとして採用されるということも想定される。さらにはもう一つの可能性として、検察審査会の要請があれば検察官が出席して書類提出と意見陳述ができる。ここでまた素人集団としては、その提出された書類に短時間で目を通さなければならないのでそこに潜む問題点を探りだすことができず、意見陳述に鋭い質問を飛ばすことができない。ああそうですかで終わってしまう可能性も大である。

可能性のことばかり書いたが、後藤徹氏の拉致監禁事件に関する検察審査会の議決通知書を読むと、まさにその危惧が現実となっているかのような、明らかにおかしい記述が目立つのである。誰が読んでも、異常な状況なのに、そのことに気がつかないのかという事例がすぐに出てくる。議決通知書では
車内では両脇を挟まれて座らされたとの点は、被疑者等がそのような認識はないと述べていることや、ワゴン車の乗車人員を考えると、真ん中に誰かが座らなければ全員が座れないという物理的な事情があったものと考える。
と記されているが、被害というのは被害を与えたものが下す判断ではない。あくまでも被害というのは被害者が被害を受けたからこその被害なのである。ここでなぜ、被疑者がそのような認識はないと述べたことが採用されたのか、どう考えても常識的判断とは思えない。米本氏のブログ「火の粉を払え」に掲載された「後藤徹の陳述書(4)」によると、後藤氏は「左右両脇を抱えられ抵抗できない状態にされて、家の中から引きずり出され、ワゴン車に監禁されました。」と述べている。両脇をしっかり抱えられての乗車なら、当然座る位置は後部座席の真ん中ということになる。ワゴン車の乗車人員から考えて、だれかが真ん中に座らなければ全員が座れないなどというとぼけた文章を書いている場合ではないのである。これが後藤氏の場合にだけ生じた偶発的な状況でないことは他の拉致監禁被害者も同じ状況に置かれていることから理解できる。

拉致監禁をなくす会の代表であり、医師でもある小出浩久氏が著書「人さらいからの脱出」(1996年光言社刊)の中で、その状況を克明に記している。
その途端、親戚のうちの男性たちが私に飛びかかり、家から担ぎ出し、外に止めてあったワゴン車に押し込んだ。外に出された際、私は恐怖のあまり「助けてくれ! 殺される」と叫びながら、逃げようと必死の抵抗を試みたが、多勢に無勢、脱出は無理だった。車の中では、私の両脇に座った父と弟とが腕をしっかりつかんでいた。自動車が都内を走っていることだけは分かった。
拉致するターゲットの両腕を両脇からしっかりつかみ、後部座席の中央に座らせるというのは、拉致監禁の際の決まりごとになっている。ターゲットが逃げないようにするためである。しかも、通知書では「申立人が大声を出して救助を求めることは容易にできたのに、行っていない。」などとあったが、小出氏の場合、大声で叫んだにもかかわらず、誰も救助には来なかった。警察官も来なかった。小出氏も実家で被害にあったので、後藤氏の場合と同じ状況であったと思われる。
通知書ではこのワゴン車の怪のすぐ次に、また不思議なことが書いてある。本当にこんな説明で納得したのかと思われるようなことが。
簡易トイレは、父がトイレが近いことから常備していたもので、簡易トイレを使うことに申立人は拒んではいないし、新潟には今までもノンストップで行っており、この時初めてノンストップで行ったものではないということ、遅い時間帯である事から、一刻も早く到着したいとの被疑者の言い分も、虚偽であると断定することはできない。
とても理解できない記述のオンパレードだ。まず、後藤氏は陳述書で
連行途中、私は用を足したくなり、トイレに行きたいと要求しましたが、家族等はトイレに行くことを許さず、代わりにビニール製の携帯用簡易トイレを私に手渡し、これで用を足すようにと言いました。このため私は見知らぬ者達の同乗するワゴン車の中で用を足さざるを得ず、大変屈辱的な思いをさせられました。
と記している。これが、後藤氏は簡易トイレを使うことを拒んでいないなどということになってしまっている。監禁ではない通常のドライブの場合は、パーキングエリアにとめるとか、出かける前に用を足しておくとかそういうことが普通の意識であろう。トイレがしたいと言っているのに、車を止めないということがまず異常だ。しかも用を足したいと言ったら、手回しよく簡易トイレが……。審査員が普通の意識ならここで、なんだかおかしいぞ、と思うであろう。トイレがしたいと言っているのに、ノンストップで、簡易トイレで用を足させる?明らかに異常な状況である。この異常な状況は、ほかにも体験者がいる。「拉致監禁をなくす会」のブログで、被害者の川嶋英雄氏が体験談を書いている。
移送中、「トイレに行きたい」と言うと、逃げだそうとするからダメだと言われました。「権利がある」と言うと、「携帯トイレがある」と言ってゴム状の携帯トイレを渡され、屈辱に身をふるわせながら、車の中で用を足しました。不思議なことにこの間、自分が何を感じているのか、自分でも良く分からないような、麻痺したような感覚に陥っており、自分がブルブル震えているのを感じて、「ああそうか、自分はあまりの屈辱に、怒っているんだな」とようやく気づきました。
異常過ぎる。ここに記されているように、後藤さんの場合も、「逃げだそうとするからダメだ」ということ以外、パーキングエリアにも停めず、簡易トイレを持ちだして、それで用を足させることの目的を見いだせない。

また、こんな遅い時間になぜ新潟までノンストップで行く必要があるのか。新潟のマンションに着いたのは午前2時半前後だという。本人が承諾したというのであれば、そんな時間帯にノンストップで行かなくても、翌日の明るい時間帯に、のんびり旅行を兼ねて新潟まで、途中パーキングエリアで用足しと買い物でもしながら行けばいいではないか。それが普通の常識だと思うのだが。あきらかに人目を避けられる時間を選び、後藤さんが逃げないように両脇を固めて、ノンストップの移動であったのだ。それに気がつかないというのは、この議決および通知書の作成が、恣意的であったということ以外に、理由が思い浮かばない。審査員自体に恣意的な意識がなかったとしても、弁護士の誘導か、検察の意見陳述に左右された結果ではなかろうか。

わずか12行に過ぎない文章の中に、これだけの異常な感覚の審査員の判断が盛り込まれている。この「検察審査会議決通知書を読む」、一体いつ終わることができるのだろうか。
posted by 原田和彦 at 23:58| Comment(10) | TrackBack(0) | 検察審査会議決通知書を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「通知書」はおかしなことだらけだけど、爆笑するのは、やはり簡易トイレのことである。

 ドライバーでトイレが近い人はいるだろう。そうした人たちの中に、簡易トイレを車に持参する人が一人でもいるのだろうか。

 仮にいたとして、その人は運転しながら、簡易トイレを股間にあてがうのか。すぐに交通事故だ。

 やはり、車を停車させて小用するのだろう。そうだとすれば、簡易トイレなど持参せずに、高速ならサービスエリア、パーキングエリア、一般道なら、コンビニなどのトイレを借りればいいだけのことだ。

 だから、トイレがいくら近い人でも、簡易トイレなど持参しないのである。持参するのは小さな子どもがいる家庭。こんな下らないことを書くだけでも、バカバカしくなる。

 やはり、お笑いトンデモ通知書なのだ。
Posted by 米本 at 2010年11月25日 09:26
米本さん
犬も歩けば棒に当たるとか、サルも木から落ちるなんてことわざがありますが、これは万一の場合もあるという意味。でも、この陳述書は、ちょっと歩けば棒に当たるのです。まるで法律家が書いたような立派な体裁でありながら、中身を読んでの読後感は、笑い転げてしまうようなことばかり。このあともどんどんそういう事例が登場します。

一例を挙げると、後藤さんのハンガーストライキについて、兄嫁も妹も統一教会員であったことから断食後の食事は…なんてところも出てきますが、統一教会員なら、ほんの一日断食しただけでも、断食を始めるときの決まりごと、終わったときのことが理解できるはず。統一教会員はこんな断食はしません。たった一日でも、ある決まりごとに従って断食に入るのです。その決まりごとは、後藤さんの状況下では絶対にできないことなのです。となると、妹と兄嫁は統一教会員ではなかったか、統一教会員であったならば虚偽の証言をしたか、どちらかひとつになります。ますます面白くなってきますよ。
Posted by 原田和彦 at 2010年11月25日 10:04
12年という年月が人に与える影響は、私には想像も及びませんが、拉致や移送の時、監禁の間において、本当に脱出したり、救助を求めることが無理だったのかな、という素朴な疑問は感じてしまいます。ある程度の日数が経過すると、そういう思い、気力自体が、弱くなってしまうのかもしれませんが・・・。

とはいえ、検察審査会も12年間、本人の意思で、引きこもっていたという判断なんですかね。これはこれで、かなり無理があるように思いますけど…。でも、検察と検察審査会の両方で不起訴とした以上、現状では、これを刑事裁判に持ち込むのは、難しそうですね。裁判で十分に審議して、内容を明白にして欲しかったです。

刑事が無理なら、今後は、民事と言うことになるのでしょうか?こちらの敷居は低いですね。でも、家族が拉致監禁をして、その上で弁護士が家族の要請を受けて、説得に来たという形を取っていることを考えると、弁護士の共犯関係を立証するには、実行犯の家族の証言は必須ですね。何人もいるから、それほど難しくはないのかな。

解放がH20.2.10であることを考えると、民事の3年の時効まで、1ヶ月ほどしかないですね。
Posted by ぱーまん at 2010年12月30日 08:47
ぱーまんさん

拉致監禁の計画はきわめて綿密に練られています。いったん監禁されたら、あとは偽装脱会以外に脱出の方法はありません。

自宅で拉致されるときには、家族、親族が多数部屋にひしめき、窓の外にはやはり人が立っています。逃げられないようにして、時間をかけて別の場所に移動することに同意させます。自宅から自動車へと素直に従う場合は、自分で歩ける場合もあるかもしれませんが、それも自分の意思で乗りたいわけではなく、しぶしぶ同意しての乗車で、乗車時には拉致のターゲットは後部座席の中央が指定席です。両脇には家族や親族が座るため、自動車からの脱出は不可能です。

路上拉致のケースもあります。突然多くの男性たちが駆け寄ってきて、人攫いさながらに自動車に連れ込まれます。明らかに誘拐ですが、親が強制的に同行させるという形を取るためか、警察は家族の問題と言う説明を受けて、それ以上介入しようとしません。拉致監禁被害者が脱出して逃げることができて交番に駆け込んだ場合でも、親に引き渡されます。そういうわけで、拉致の瞬間には逃げることはできません。

監禁用に準備されたマンションでは、玄関は内側からはあかないようにしてあり、また玄関近くに常に人がいて拉致監禁被害者が近づこうとすると追い払われます。窓は高層階だとその必要はないかもしれませんが、低層階の場合はベニヤ板でふさがれていたり、内側からあかないような特殊な工作がしてあります。

従って、玄関から外に出るには、偽装脱会により信頼を得るしかありません。

また、家族の要請を受けて説得に来るのはたいていの場合弁護士ではなく拉致監禁請負人か、牧師であり、弁護士ではありません。平田何某という弁護士が来たという例はありますが。宮村氏の場合は、本連載でも明らかにしたとおり、拉致監禁を主導しております。

後藤徹さん自身は民事訴訟を視野に入れておられるようです。
Posted by 原田和彦 at 2010年12月30日 17:53
統一教会のイメージが裁判手続きにも影響しているのかもしれませんが、拉致・監禁をなくす一番の方法は、既に起こった事件に対し、刑事・民事手続きの双方において、十分な準備を整え、きちんと勝訴することだと思います。勝訴の与える影響は計り知れません。また、一回の勝訴が次の裁判の手本や教訓にもなります。
Posted by ぱーまん at 2010年12月30日 20:03
ぱーまんさん

統一教会のイメージと、後藤氏の拉致監禁事件は関係ありません。イメージの悪い団体に所属していたとしても、それで日本国憲法で保障されている個人の人権が侵害されていいと思っている審査員は一人もいないと思います。この問題の本当の焦点は、被疑者たちが偽証している可能性が高いということにあると思います。ここを明らかにすることが、本連載の大きな目的の一つです。
Posted by 原田和彦 at 2010年12月31日 19:09
>>統一教会のイメージと、後藤氏の拉致監禁事件は関係ありません。
理想としては、そうですが、実際には、なかなかそうもいかないと思います。

私は、逆に、被疑者が偽証してることを強く責めることはできません。犯罪者が偽証することは、ごく普通のことです。自分が罰を受けるかどうかがかかってますから。

本来は、審査会の委員とかが、被疑者の話を聞いて、疑問や矛盾を感じて、裁判での事実解明にゆだねるべきだったのでしょうが、一定の思い込みが、被疑者に有利に解釈するように働いたか、そもそも、委員としては、物事の本質を追求する能力自体に欠けていたのかな、と思います。
Posted by ぱーまん at 2011年01月06日 17:57
ぱーまんさん

犯罪者が偽証することは、ごく普通のことという感覚は異常です。普通の感覚に戻ってください。犯罪者が偽証することは普通だ、当たりまえだというような発言は、犯罪者は犯罪を犯すから犯罪者というのだと言って、犯罪そのものの犯罪性をごまかしてしまうのと同じです。

犯罪行為、偽証行為、そういったものを、ごく普通のことと考えるのであるならば、このブログへの投稿は控えてください。このブログは偽証も含めた被疑者らの行為の犯罪性を明らかにすることを明らかにすることを目的としています。その目的をあいまいにするような投稿は、歓迎しません。ご自身のブログかほかのブログで投稿していただけませんか。
Posted by 原田和彦 at 2011年01月06日 18:17
私の文章を読んで、上記のような投稿をすることに、少々びっくりしてしまいます。多分、犯罪を肯定することと、犯罪者の性向とを混同しておられるのでしょう。私は、刑事被告人に偽証罪がないのと同じことを言っただけです。もっと分かりやすく書いた方がよかったですね。とはいえ、当面投稿はしないので、ご安心ください。
Posted by ぱーまん at 2011年01月07日 23:32
ぱーまんさんからの投稿をいただきましたが、投稿内容について再度同じ警告を発しなければならないことになりました。具体的には「刑事被告人に偽証罪がないのと同じことを言っただけ」という文言について、刑事被告人となっていない被疑者らの立場をまたごまかそうとしていると判断せざるを得ません。お言葉の通り、今後は当ブログへの投稿を差し控えてください。
Posted by 原田和彦 at 2011年01月08日 07:45
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