韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
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2010年10月16日

いい加減で独断的な歴史観を押し付ける宮村氏

宮村氏の性格について─小出氏に聞くD統一教会,統一協会,救出,検察審査会,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
前回、公開日時をミスしてしまい、13日に記事を公開する予定だったのが、10日に公開してしまっていた。そのことに気がついたのが今、つまり16日夜である。4日に一回のペースで記事を公開するつもりであったので、しまったと思ったが、操作ミスに気がつくのが遅かったと、頭を掻いている。さて、あれから拉致監禁推進派のウェブでは矢継ぎ早に後藤徹氏の申し立てを審議した検察審査会の議決通知書が掲載されている。後藤氏に対してそれ見たことかと、嘲笑っているのであろう。しかし、実は、あの議決通知書を見て嘲笑っているのは、宮村氏に脱会説得を受けた被害者たちではなかろうかと思っている。ここまでひどい議決通知書があったとはと。
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「荻窪地域区民センター」。統一教会信者家族を拉致
監禁に駆り立てる「水茎会」が開かれたことがある。
宮村氏に脱会説得を受けた人たちにとっては、被疑者たちが説明している部分は、全く事実と異なることが多い。たとえば新潟まで後藤氏が連れて行かれるときに、簡易トイレを車中に用意し、後藤氏が真ん中に座らされるシーンの検討は、腹の皮がよじれるくらいに笑いたくなってしまう。誰かが真ん中に座らなければ、全員が乗れないなどという説明。これを本当に検察審査会という公的な場で、良識のある方々が時間をかけて審議していたというのだろうか。

たとえば五人乗りの乗用車であった場合、後藤氏がなぜ後部座席の真ん中に座らなければならないのだろうかと言うことを検討した場合、だれかが真ん中に座らなければ、5人が座れないということになったといっているわけだ。ならば後藤氏は前部座席でもいいことになる。またドア側でも問題ないはずだ。しかし、拉致監禁する場合には、ターゲットを後部座席の真ん中に座らせることはマニュアル化されている。逃げられないようにするためだ。このことは拉致監禁問題を勉強した人はだれでも知っている。また、簡易トイレを車に常備するのは、ターゲットをサービスエリアのトイレに行かせた場合、逃げ出してしまうからだ。自動車から一歩も出させないで用を足させるためなのだ。拉致監禁被害者なら、このことはだれでも知っている。後藤氏の父親が特に排尿しやすい体質であるからというような説明であったように思う。ならば、それこそノンストップで新潟に行くべきではなく、途中何度かサービスエリアに立ち寄って、用を足させるのが、普通の人たちの発想なのだ。なぜサービスエリアに立ち寄らず、車内で用を足させるのか、検察審査会の人たちはおかしいと思わなかったのだろうか。(今回投稿の最後に追加分があります)。

検察審査会の議決文については、またシリーズを改めて検討するので、今回はこれくらいにしておくが、このブログで指摘している宮村氏の性格がよく出ている議決通知書である。小出氏の著書「人さらいからの脱出」に、私の検察審査会通知書の読後感に近い文章があったので、紹介しておこう。

(宮村氏は)あるときは福岡県弁護士会の平田広志弁護士を連れてきた。そして、「わたしが監禁されている環境は合法的なものである」と、私と私の家族に納得させようとした。

平田弁護士は部屋のドアの取ってにチェーンが巻きつけられ、窓は開かないように固定、外も見えないように目張りされ、外に逃げられないように見張りの人まで付けられているという、明らかに監禁されている私の状況を見ても、「こういう状況が違法であるとは認めらてていない」などと、家族に説明していた。

「これが違法じゃない?弁護士までグルか……」。

何とも言えない、虚しさを感じた。

私も議決通知書を見て、小出さんと同じような虚しさを感じている。こういう状況をいくら説明しても、「家族のように大切に思っている」宮村氏が監禁したとは思えない(議決通知書ではそういうことになっている)、という意見を読んだ時の虚しさである。

さて、宮村氏の性格について小出氏は、「いい加減で一方的な歴史認識しか持たず、だれにもそれを押しつけて認めさせなければ満足しない、独断的人間」だと感じたことがあるという。宮村氏が統一原理批判をした際、「日本は代々、天照大神を崇拝してきた国として」(原理講論586ページ)を引用して、「よく考えてみろ!日本は仏教国じゃないか」と脱会説得に利用する。超短絡的な歴史観である。

古来日本には修験道を中心とした山岳信仰があった。役の行者(えんのぎょうじゃ)たちが活躍した時代が先にあった。一般的には仏教公伝は538年となっている。つまり仏教は外来宗教であり、それより前に神道があった。この場合の神道は、国家神道というよりも、自然現象の中に『神々しい』ものを感じた宗教的なものということになる。

少しでも古代史をかじったものであるならば、これらのことは常識である。それを宮村氏は、日本は最初から仏教国家であるかのように説得につかう。ここまでくると、宮村氏の歴史観が正しいか、原理講論で言う「日本は代々天照大神を崇拝してきた国」ととらえるのが正しいのか、どちらを取るかは自明の理といえる。小出氏は著書でこの点を指摘する。「元教会員たちは宮村氏などから「原理講論」はマチガイと言われて、本当の意味での確認作業を怠り、ただ言われたままを信じて、反発心を持つだけなんだと思った」と。

宮村氏も独断的であるが、取り巻きもまた宮村氏の言うことなら何でもうんうんとうなずいてしまう。まったくキモイ世界だ。本ブログで連載していただいたYAMAさんも「宮村氏の性格と思考─平気でウソつく氏に井口康雄氏が猛反発」で以下のように語っている。

彼ら元信者を見ていると、自分で考えることを放棄しているようでした。ただ、宮村氏から同意を求められたらイエスの答えをしているだけで、気持ちが悪かったです。

こうした独断を押しつける宮村氏の性格は、どこから来るのだろう。愛情だと思えば暴力もふるう、周囲には自分の考え方を押しつける、そしてそれで満足するという……。ちょっと関心があって小出氏に聞いてみた。小出氏は宮村氏に直接聞いたわけではないと断ったうえで、「父親との関係に問題があったと仄聞しています」と答えた。ちょっと聞いただけでは分かりにくいが、父親から愛されていなかった、ということであろうか。今の段階では即断するのは禁物である。が、宮村研究者としては興味をそそられる問題である。自分のうちの家族の問題を解決できなかった宮村氏に、他人の家庭の家族の問題に口出しする資格があるのだろうか(もっとも、拉致監禁問題は家族の問題ではない)。

追加:後藤氏によると、後藤氏の父親は当時免許を取ったばかりであったそうだ。免許とりたての父を、ワゴン車に満杯で、しかも遅い時間に新潟までノンストップで走らせるということは、ありえない話だ、しかも簡易トイレまで積ませてと後藤氏は怒りをあらわにした。
この記事へのコメント
 私も有田議員のブログに載っている後藤氏の検察審議会の議決文を読んであきれてしまった。これをもって、勝ち誇ったようにほくそえんでるとしたら、宮村氏はアホです。

 国会議員たる有田氏も勝ち誇って全文をブログに掲載していたが、それも国会議員としての品格を下げるだけかも・・・と思ってしまった。

 この全文を翻訳して世界の識者に見せてはどうだろうかと思う。

 この議決文によれば、私は連行されるとき、靴もはいてたし、隔離されていた場所でも大暴れをしなかったので、監禁されていたことにはならないだろう。
 拉致当日、私が自室にこもってしまって、連行できなくなることを想定し、私の部屋の扉に、金具を取り付けドアが閉まらないように細工までしていました。今の実家に帰ればその金具で細工した釘の後ぐらいは残っているかもしれませんね。
 私はどう頑張っても行かざるを得なかったのに・・・。本当に拉致監禁されていた事を証明するのって大変な事なんだな〜と思ってしまう。

 この議決文の基準を採用すると強姦罪も成立しにくくなり(抵抗したという証拠がないから和姦みたいな)、本当の犯罪者がほくそえむだけではないだろうか???

 とにかくばかばかしすぎて全文は読んでないが・・・・。途中で気分がわるくなったし・・・・。

 宮村氏には、たしかに日本は仏教国だといわれた気がする。
 自分の間違いに気づいてももちろん訂正はしないし、適当にごまかす・・・。ぼろが出るのがいやだから、極力マスコミにはでないってところですかね。


 

 
Posted by YAMA at 2010年10月16日 15:41
YAMAさんこんにちは。

議決文の中で、後藤徹さんの意見が通ったものは一つもありません。これは明らかに異常な事態です。

大阪地検特捜部検事のデータ改ざんなど、検察はどうなるのだろうと心配になる毎日ですが、法律のプロである検察でさえも講なら、法律のプロでない検察審査会は、もっと心配です。日本は無法国家に堕してしまうのでしょうか。

YAMAさんや後藤さんが監禁されたころは、警察は宛にならなくても、検察にはまだ少し期待を抱くことができたかもしれません。しかし、今は検察も、検察審査会も信頼は地に落ちたという感が否めません。国会議員もです。

小出さんのシリーズを一時中断し、次回からは今回の検察審査会議決文の分析を行いたいと思います。
Posted by 原田和彦 at 2010年10月16日 20:12
 でも、検察審議会というシステムは、一般市民のコモンセンスが重要なのではないのですか?

 法律の問題ではなく、あの文章にはコモンセンスが感じられなかったのです。本当に一般市民から無作為に抽出された一般市民が下した判断なのでしょうか?
 私もあの文章を見るまでは、刑事訴訟というのは、証拠主義だから・・・と思ってました。だから、不起訴相当の判断が下された第一報を聞いたときはむしろそんなものかと思ったものでしたよ。
 でも、あの文章は、明らかに無理があり、へんです。もっといえば気持ち悪い・・・。

 

 
Posted by YAMA at 2010年10月16日 20:57
今日後藤徹さんと話しました。別に検察審査会の肩を持つわけではありませんが、拉致監禁ということ事態が異常な行為であり、平和日本にありうるはずのない行為であるわけです。平和ボケした日本国民には、絶対理解できない。そういうことが行われているということだと思います。そんなことがあるはずがない、という思いで判断を下していると思います。でも、私たちは、そんなことが行われているのだよ、と根気強く知らせていきたいと思います。

あの中にひょっとして統一教会反対派が……とか、誰かが手を回したかとか、憶測はできますが、確認しようのないことは、今は表現を控えたいと思います。
Posted by 原田和彦 at 2010年10月16日 22:53
<あの中にひょっとして統一教会反対派が……とか、誰かが手を回したかとか、憶測はできますが、確認しようのないことは、今は表現を控えたいと思います>

 このような見方をする人が少なくないけど、もっと単純なことだと思います。

 小沢さんの起訴相当で、検察審査会の実情が徐々に明らかになってきました。審査員のメンバーはシロウト、審査は非公開(審査員の年齢さえ!)だから、責任を取る必要はありません。マスコミからの記者会見要請もできない。不当な議決だとして裁判に訴えることもできません。

 検察審査会は民主的な制度だと思い込んでいましたが、実情を知れば知るほど、無責任な制度だということがわかってきました。

 統一教会を嫌悪する審査員がどの程度の書面を読み込んだかはわからないが、宮村・後藤兄・兄嫁・母親・妹の検面調書を読み、それを鵜呑みしただけのことだと思います。

 宮村&後藤家族は、検察の事情聴取を受ける際、弁護士(おそらく山口広さん)と入念な打ち合わせを行い、口裏を合わせたと思います。5人の供述にまったく齟齬がないほど、見事に統一された供述だったはず。
 山口弁護士の勝訴を勝ち取るための執念はすさまじく、打ち合わせといっても一回どころでなく、何回もやるそうです。それによって当事者(今回は宮村&後藤家族)は見事に統一された主張をする。

 後藤さんの申し立てはすべて嘘、後藤家族の供述調書はすべて正しい。
 審査員の諸兄・諸姉がそう判断しただけのこと。そんな単純なことだったと思いますよ。
 後藤嘘・宮村&家族真実だと、彼らが鼻くそでもほじりながら、判断したとしても、責任を取る必要はない。まったく無責任な制度です。小沢さんの場合だって、小沢嫌悪感情を背景に、「小沢は怪しい」、不起訴は不当だとしただけのことです。

 宮村&後藤家族の主張は「間違っている」と、公開の場で堂々と言えるのは、民事裁判だけです。
 統一された主張だって、公開の場にさらされると、嘘が見えてくる。事実にまさるものはありませんから。
 今利裁判でも、清水&黒鳥&今利家族&今利親戚などによって見事に統一された主張をして1審2審で彼らは勝訴したものの、最高裁では和解勧告となりましたから。

 後藤さんが民事提訴することを期待しています。そして、裁判が始まれば、すべてをサイトで公開すればいいと思います。
Posted by 米本 at 2010年10月17日 10:08
確かに単純ですね。
今日は私も会う人ごとに単純に説明しました。「後藤さんのバックの団体が限りなく黒く見えただけだ」と。
Posted by 原田和彦 at 2010年10月17日 19:41
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