韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(2)〜(5)はこちらでどうぞ

2010年10月09日

暴力で示す“愛情”

宮村氏の性格について─小出氏に聞くB統一教会,統一協会,救出,検察審査会,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
今回からいよいよ小出氏の話に入る。小出氏が拉致監禁されていたのは、メゾン西荻の909号室。1992年6月13日から新潟での監禁と合わせると1年半に及ぶ。後藤徹氏の12年5ヶ月に比することはできないが、1年半という期間は、私の知る限りでは最長の部類に入るのではないだろうか。このメゾン西荻での監禁期間は、7月13日に新潟のヴェルドール万代に移送されるまでの約1ヶ月だ。
mezonnishiogi.jpgさてこのメゾン西荻=写真=だが、JR西荻窪駅のすぐ近く、繁華街の中にある。前述の荻窪フラワーホームも荻窪駅から歩いて10分ほどの圏内にあったが、周りにコンビニあり、交通の便利な圏内にあるという点で、都会の怖さを感じる。こんな繁華街、こんな便利な、人々の行き交う真ん中に、世界と隔絶されたブラックホールのような拉致監禁空間があるのかと思うと、ぞっとする。

周囲を歩いてみて、正直な感想が、この恐怖感である。もっとも、監禁されている被害者本人は、世界と隔絶されているわけだから、都市の抱える問題点などというものとは無縁なのかもしれない。しかし、こんなに人々が行き交う中で、拉致監禁という無法行為が成立しているということの異常さを改めて感じさせられる。

周囲を歩いてみて感じたこと。荻窪方面から歩いてくると、荻窪栄光教会からJRの線路のほうへ行くと神明中東という交差点がある。そこを左折してまっすぐ。歩いて14,5分ほどであろうか。西荻窪の繁華街に入ったところに、件のマンションがある。自転車で行くともっと早いだろうし、バイク、自動車で行くとすぐの距離だ。この距離感が、宮村氏の生活圏であるということを思い起こさせる。宮村氏も、荻窪栄光教会、そしてメゾン西荻の間を自転車か、バイクか、自動車で行き来したであろう。道を歩いていると、そうした感覚が身に染み入る。宮村氏の姿が、この路上にあるように見えてくる。

歩けば一本道だが、途中に、都会の中の神社としてはかなり境内の広い神社があったので立ち寄ってみた。真夏の暑い日であったが、木々が青々と繁り、都会の中の広大な憩いの空間を提供していた。そこに宮村氏や拉致監禁被害者が立ち寄ったというような証言があるわけではない。が、まっすぐに西荻窪に向かうこの道沿いに、そうした神域があるということの偶然性は、そこに憩う人の中に宮村氏や拉致監禁被害者の姿があっても不思議ではない感覚を感じさせる。

ということを書いていて、緊急速報が入った。


後藤徹氏の検察審査会不服申し立ては「不起訴相当
とても残念な結果である。12年5カ月にも及ぶ拉致監禁が起訴されない、ということは、ご両親が宮村氏ほか拉致監禁請負人・牧師らと関係があるとみられる信者は、今後帰省やどこかで会うにしても、拉致監禁されないように相当の用心が必要になる。12年5カ月に及ぶ監禁が立件されないのであるから、それ以下の監禁は検察は起訴しないということになる。

だがここで注意しなければならないのは、検察審査会のメンバーは法律の専門家ではないということである。つまり、今回の判定は、後藤氏の拉致監禁事件そのものに対する判断というよりも、その背景にある統一教会の社会的信用に大きく影響された可能性があるということである。反社会的団体という統一教会の社会的イメージが、そこから“救出”した行為の暴力性、不当性に対するイメージを上回った可能性が大である。よって、本ブログでは従来と変わらない姿勢で宮村氏の研究を進めていく。

さて、小出氏の拉致監禁体験を通じて浮き彫りになるのは、自らは暴力をふるいながら、暴力は振るっていないとうそぶく宮村氏の態度である。小出氏はその著書『人さらいからの脱出』(光言社刊)の21ページで、「わたしはそれでも『基本的人権を無視した方法での脱会強要はやめてくれ』と訴え続けた。私の目の前に立った宮村氏は、開口一番『やめません!』といったが、あわてて『いや、やってません』と言い直した。」とある。「やめません」とは思わず口をついて出た言葉だろう。それを「いや、やっていません」と言い直すあたりが、暴力を正当化する宮村氏の基本的姿勢を表わしている。この点、次回にもう少し掘り下げるが、もっと異常なのは、暴力をふるうのも愛情表現の一つと考えているような節があるということだ。
この記事へのコメント
「今回の判定は、後藤氏の拉致監禁事件そのものに対する判断というよりも、その背景にある統一教会の社会的信用に大きく影響された可能性があるということである。反社会的団体という統一教会の社会的イメージが、そこから“救出”した行為の暴力性、不当性に対するイメージを上回った可能性が大である」

私には納得できません。
反社会的団体なら、12年間、監禁してもいいのか。
食事制裁を与えて、半死の状態にしていいのか。
一切の自由を奪い、その人の人生をめちゃくちゃにしていいのか。

後藤さんが生きていたからいいもの、もし、浮浪者と間違えられて、助けてもらえず、路上で死んでいたら、どうなのか。
検察審査会のメンバーは、一度、監禁されてみればいい。いかに、これが非人間的なことかが数日にして分かるだろう。

人をさらって、マンションの一室に12年間も監禁する−。このグループは果たして社会的団体なのか。こっちのほうが、よほど反社会的団体ではないか。
Posted by 伏龍 at 2010年10月12日 14:44
伏龍さん

おっしゃるとおりだと思います。このブログも、そういうことをなさしめる宮村氏の性格などを研究するためのブログです。

しかしその一方で、後藤さんの運動を支えてきた統一教会もまた、これを機会に深く反省していただきたいと思うのです。何十年も拉致監禁被害者を輩出しながら、本腰を入れ始めたのは昨年夏からです。また信者の家族が不安に感じるような隠れて伝道、隠れて経済活動を長い間改めようとしなかった。拉致監禁を野放しにし、それどころが親や親族が拉致監禁をしてでも助け出したいという思いを助長してきたのは統一教会であると言っても過言ではありません。

また後藤さんの基本的人権を守れといいながら、実際には統一教会の社会復権運動の手段としたことは、否めない事実です。

拉致監禁をなくすには、宮村氏ら拉致監禁請負人、拉致監禁牧師らの動きを注視し、社会に知らしめながら、他方で不安の種をばら撒く統一教会にも苦言を呈しなければならないのです。
Posted by 原田和彦 at 2010年10月12日 17:06
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