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2010年09月12日

宮村氏の性格と思考─まるで将軍様

YAMAさんの体験談3
統一教会,統一協会,救出,相談,相談会,説明,説明会,脱会,説得,宮村峻,宮村
 私はとうとうこのような日がきてしまったと悔しい気持ちで一杯になりました。私は家族が宮村氏と関わりをもっていることが発覚してからその時に至るまで何度も何度も統一教会について話し合う機会を持とうと努力して参りましたが、私が話を切り出しても両親から相手にしてもらえないという状態でした。
 その時の状況は形の上でこそ、親戚同士の話し合いという形がとられましたが、あくまでも杉並区内に用意していたマンションに連行するために都合のいい既成事実をつくるためのものであったと思います。あくまでも子供を反社会的な団体から脱会させるためにとられた緊急措置的なものとして拉致・監禁というものを捉えるように宮村氏が指導していたようですし、家族親戚など、身内でよく話し合って本人が納得した上で、宮村氏のところに連れていくということが必要でした。

 しかし私はその第三者というのは宮村氏であるということが分かっていましたので応ずる気持ちもなく断り続けましたが、家族の執拗な説得がありました。私は悔しい気持ちで一杯になりこの状況から逃げ出したいという気持ちで自室に入り、ドアを締めようとしました。ところがいつもはスムーズに締まるドアが締まらないのです。よくドアの下を見てみるとドアの下に金具がはめてあり、締まらないように細工してあったのです。私はここまで用意周到に準備していたのかと改めて思い知らされました。

 私が家族、親戚らと話している問に(もうその時にはだいぶ遅い時刻でしたが)宮村氏とおぼしき人物から電話があり、マンションに連行する際の打ち合わせをしているようでした。マンションの近くで道路工事が始まり、人が夜中でもたくさんいるので注意するようにということと、道路工事のところを通らないように道を変えるようにという指示があったようです。

 逃げようとしても逃げられるような環境ではなく親戚や家族に両腕をつかまれながらやむなく私は家族と共に車に乗りました。事の中は私を後部座席の真ん中に両脇を家族らに囲まれていて、運転は妹がしていました。マンションには夜中に着きました。六階の用意された部屋に着くとそこには叔母や従姉妹がすでにいました。まもなく宮村氏も現れ、「会えるのを待っていた」といってその日は帰って行きました。

 その翌日から、宮村氏をはじめとして元信者らによる、執拗な説得が始まりました。マンションの内部はまず玄関には二カ所に鍵がかかっておりそのほかに錠がかけてありました。窓という窓は木の粋がはめられてありました。すきまといえるものは換気扇と風呂場の小さな窓ぐらいで、いずれも人が出入りできるようなものではありませんでした。そして親戚や父の職場の人や反対父兄の人達が常にいて監視されていました。そのような環境下で毎日のように宮村氏や元信者が訪れ脱会を迫りました。「青春を返せ」裁判の原告である高森さん、E君、Fさん、Gさん、H君、I君、Jさんといったような人たちでした。

特に高森さんはタバコをすい、胡座をかき、とても威圧的な態度でした。宮村氏もかなりのヘビースモーカーであり、誰に断ることもなく、平気でタバコをすっていました。部屋のなかは煙で白っぽく見えました。私は本当に嫌でしたが、タバコをやめてほしいとはなかなかいえませんでした。他の家族や親戚たちもとても嫌だったと思いますが、いえるような空気ではありませんでした。宮村氏はまるで将軍様でした。換気ができない密室で、住人(好きこのんで住んでいるわけではなかったが・・・)の許可も得ずにタバコをすいまくる行為は非常識といえます。

 私は家族や親戚の人達が会社を休んでいましたし、妹も学校を休んでこのマンションにいましたのでこのまま私が脱会するといわないで信仰を貫いていたら、父も姉も会社を辞めなければならなくなると思いましたし、妹も大学を留年してしまうと思いました。親戚はそれぞれの家に帰っては、またきたりというふうにしていましたが、私の家族は私が脱会するまで会社を休んで私と一緒にいるといっていたのです。


posted by 原田和彦 at 03:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 連載「YAMAさんの体験談」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 こんにちは。YAMAです。私の体験談の連載も3回を数えるようになりました。
 ついに、宮村氏と再会をしてしまいました。
 最初に会ったときの印象は、敵ながらなかなかの人物なのではないかというものでした。
 私の親が宮村氏につながっていることもあっさり認めてしまいましたし・・・・。私が行方不明になって、どこぞの教会で、偽名を使ってひっそりと信仰生活を送るということは、考えなかったのでしょうか?逃げられない自信というか根拠があったのかもしれません。その自信がどこから来るものなのかは分かりませんが・・・。

 それに回りにいる取り巻きの元教会員の皆さんが心底尊敬していたみたいだったので・・・・。そりゃーもう、宮村氏の言うことには、一糸乱れず、首を縦に振るというかんじでした。気持ち悪い反面、それほどの人物なのではと思ったわけです。

 でも実際あってみるとけっこうがっかりしました。
常に上から目線で、いやな感じでした。タバコにも参りました。

 そういえば、私が昨年、米本さんにインタビューを受けたときのことです。宮村氏と同じく、米本さんもたいしたヘビースモーカーでした。ですが、米本さんは、喫茶店の席に着くや、タバコをすってもいいかと私にきちんと許可を求めたのです。さらに私の席が、風下になっていることに気づかれ、即座に席を立って、席を交換しましょうとおっしゃったのです。
 米本さんの気遣いには感動しました。

 宮村氏にもそのぐらいの気遣いがあれば・・・。とはいうものの風上とか風下とかいう以前に換気ができない(台所に換気扇があったぐらい)空間なのでした。

 


Posted by YAMA at 2010年09月12日 16:20
YAMAさん、投稿ありがとうございます。

ついに、宮村氏を思い出させてしまいましたか。私も、昨年7月に拉致監禁をなくす会に出会うまでは、21年前に宮村氏に一度会ったことなど、思い出したくもありませんでした。元婚約者のことは、いつも心に刺さっていましたが。

しかし、宮村氏が反省することもなくいまだに拉致監禁に血道をあげている以上、いつかは再会せざるを得なかったのですね。私にも、「俺の名前を知らないやつは教会員としては潜りだ」と豪語しました。このブログの連載が続くことで、いつかはその自信が揺らぐ時が来るでしょう。地道にやっていきます。
Posted by 原田和彦 at 2010年09月12日 21:46
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