韓国SBS放送の『統一教会信者拉致監禁事件-きよみ13年ぶりの帰郷』(1)
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2010年09月10日

宮村氏の性格と思考─拉致監禁の危険が高いのに自宅に返した教会長

YAMAさんの体験談2
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私は、昭和63年10月ごろ、両親が私の拉致・監禁はしないでくれという申し出に対して明確な回答がなかったために不安を感じ、家出をしました。しかし、当時私を指導する立場にあった、C中央教会のD教会長に「親を愛して自宅で頑張りなさい。」との指導を受けて、私は2、3日で再び家に帰りました。
元信者の人達が、よく親が反対している信者に対して、教会側の責任者が行方をくらますように指導をし、居所がばれないように名前を偽るように教育して親子の交流を妨げていると訴えていますが、このように私の場合には当てはまりません。

しかし、他方で、統一教会の責任者によるこうした指導は、問題を感じる面もあります。それは、拉致監禁される可能性が高いために家出をした人を、わざわざ自宅に帰すかということです。実際にD教会長は、家族の問題を抱え込みたくなさそうな感じでした。

私は拉致・監禁された当時(平成元年10月)教会では、勤労青年という形で会社に通いながら礼拝に参加し、信仰生活を送っていました。教会員以外の人と接している機会の方が圧倒的に多く会社の同僚と一緒に遊びに行ったりしましたし、教会員以外の人との交流の機会を大切にしていました。

しかし、このように統一教会の信仰をもっていることを除けば一般の人と何等変わらない生活をしている私に対しても統一教会から脱会しない限り気が済まない宮村氏の指示を受けた家族達によって、私は杉並区にあるマンションに連行され、監禁生活を強いられるようになります。

 その日は、平成元年、即ち1989年の10月初旬の日曜日でした。私は久しぶりに家族と共に外で夕食を食べました。今にして思うと家族はやけにそわそわしているようでした。最初はレストランで、家族全員で食事をしていたのですが、私と父親を除いて他の家族(母、姉、妹)は先に帰ってしまい、2人だけで別の店に入りました。その間母達は着々と杉並区のマンションに私を連行するための準備をしていたようです。私と父が家に帰ってくるとまず、叔母夫婦と従兄弟が家にきました。

叔母夫婦はよくうちに遊びに来ることがあったので何も不思議には思いませんでしたが、あまり家にきたことのない従兄弟がきたときには何かあるのではと感じました。さらに札幌在住の叔父が家にきて、程なく父の口から「統一教会のことについて話し合おう」と切り出してきました。そして親戚一同心配しているので信頼できる第三者に会って聖書について勉強しようと言い出しました。


posted by 原田和彦 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載「YAMAさんの体験談」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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